思い過ごしか、本当に汚いのか
字下手で 悩む人たち
あんまりだ。心が汚いなんて。四半世紀経てもトラウマは消えない。
チャットでナンパはできても恋文が書けない。
坊やはママが怖くてミミズ字になった。
編集部 後田竜衛(うしろだ りょうえ)
写真 酒井猛(さかい たけし)
沢登弘(さわと ひろし)
「何だ、これ」
福岡県の小さな町にある小学校。3年生を受け持っている30代半ばの男性教諭が、昼過ぎの授業で書き取りノートを広げて、クラス中に見せながら言い放った。
「みんな、見てごらん。タダシの字の汚いこと。字が汚いのは心が汚いからです。」
名指しされた男児は、きょとんとして、自分の字と先生の顔を見比べた。
ジガ、キタナイ?
ココロガ、キタナイ?
もう26年も前のことなのに、東京都内の大手企業に勤めるタダシさん(35)は、いまだにそのときのショックが忘れられない。酒の席で、子供時代の思い出話で盛り上がると、この話を披露して、つい涙目になってしまう。
授業中、「はい、はい!わかった!」と、どんどん手を挙げるタダシさんを先生は、「わかったわかったお兄ちゃん」とあだ名で呼んでいた。
だが、冗談にもほどがある。
とり立てて字がヘタだと思ったことはない。宿題の書き取りも、手を抜いたわけではなかった。
◇字には性格が表れる◇
冬の寒い日だった。勉強部屋のストーブがなかなか暖まらず、手がかじかんで、上手に書けなかった。それだけだったのに・・・・。
息子の話に、両親は、「先生そげなこと言うたんか!」といきり立った。父は地方議会の議員、母は別の小学校の教員。小さな町だけに、抗議したりすれば、必要以上に波風がたちそうだった。
「こんな町にいたくない」
タダシさんはひたすら勉強に打ち込み、小学校を卒業すると、他県の難関私立中・高に進んだ。
私はタダシさんの比ではないほど字がヘタだ。自分で書いた取材ノートが時々読めずに苦労する。
「字が汚い=心が汚い」
という論法は、字ベタの一員としては甘んじて受け入れるわけいはいかない。ただ、字には心の状態や性格が表れる、というのはうなずける。 「筆跡学」「筆跡心理学」と言われる学問もある。
横浜市の「近代経営研究所」代表・根本寛(ねもと ひろし)さん(61)は、筆跡診断を経営コンサルタント業務に生かしている。
◇言い当てられた短所◇
たとえば、普通なら伸びない線が伸びて、他の字画と交わってしまう「異常接筆型」の字を書く人は、一般の人がしり込みするようなことを平気でやれる気質を持っている反面、トラブルを起こしやすい。「言」という字のように、横線が並ぶ字の場合、その間隔がまちまちな「非等間隔型」の筆跡を残す人は、気分屋だ。
こういう人は、採用や人事配置のうえでは要注意、と評価されるらしい。
「質問法を中心とする心理テストにも誤差はある。パーソナリティーの微妙な色合いを補完するうえで筆跡診断は有意義だ。」
試しに、私の字を根本氏に診断してもらった。これは、心配性で陰気な性格の表れ。陽気な人は中央寄りに曲がるという。「へん」と「つくり」の間隔(気宇)が狭いのは、「気宇壮大」の逆で、精神的にセコくて、さあこい、という包容力が足りないらしい。「口」のように箱型を書く字の左上の、縦線と横線が重なる部分(接筆)が、くっついているのか離れているのかあいまいなのは、「優柔不断」。おまけに、「収筆」と呼ばれる最後の横線が左右の縦線と離れているのは、「仕事のツメが甘い証拠」ときたもんだ。
日ごろ家族が愚痴をこぼす私の「短所」を、ずばりと言い当てられてしまった。
性格を直さない限り、字も上達しないのか。そんなことはなさそうだ。悪筆にはいくつかのパターンがあると根本氏は言う。
まず、「無意識的悪筆」。約9割りもの人が、他人の字を見て、その人物像を感じるというが、自分が字を書くとき、他人がどんな印象を持つかということに気をつけている人は、ぐっと少ない。つまり、きれいな字を書くことを心がければ、ある程度はマシな字が書けることになる。
◇「硬筆」受験者は激減◇
2番目は「未開発的悪筆」。きれいな字を書く訓練が足りないから上手に書けない、という人たちだ。文部科学省によると、30年以上の伝統を持つ同省認定の「硬筆書写技能検定」を受ける人は、90年度の約43万人をピークに減り続け、99年度は約18万人に落ち込んだ。子供の数そのものが少子化で減っている。それを差し引いても、「書き取り離れ」は明らかだ。
パソコンやワープロの普及で、字は「書く」ものから、キーボードで「打つ」時代になった。仕事のうえでも、
「手書きでいいから、質問の趣旨をファックスで送ってください」
などと言われることがある。見栄えのよい活字の文書が幅を利かせ、手書きの文書は非公式で格下と見られているようだ。
ところで、悪筆にはもう一つ、「意図的悪筆」というのもある。芸術や思想などの表現手段として、わざと下手な字を書く人々だ。石川九楊(いしかわ きゅうよう)著『書の風景』(筑摩書房)によると、明治末期、画家の中村不折(なかむら ふせつ)、俳人河東碧梧桐(かわひがし へきごとう)らが新たな世界を切り開こうと作った書の研究団体「龍眠会(りゅうみんかい)」には、「字を上手に書こうなどと心がける者は退会を命ず」との罰則規定まであった。
ここ10年ほどの傾向を見ていると、管理された標準的なタイプの升目文字が増えている、と根本さんは言う。
「きれいな字が万能、ではない。枠に収まらない字にこそ、強い個性やエネルギーがある。そんな字を書く人がもっと多くてもいい」
ちょっと救われた気がした。