筆跡鑑定人ブログ

筆跡鑑定人ブログ−47
筆跡鑑定人 根本 寛
 このコーナーに書くのは、事実に基づく、筆跡鑑定人の「独り言」のようなものです。お気軽にお付き合いいただければ幸いです。
 ただし、プライバシー保護のため固有名詞は原則的に仮名にし、内容によってはシチエーションも、特定できないよう最小限の調整をしている場合もあることをご了解ください。
  • 異なる文字では鑑定はできないのか(22-9-10)
  • 警察OB筆跡鑑定人の問題点
  •  わが国の筆跡鑑定は刑事事件における警察の利用が多かった。警察は規模が大きいから、組織的に統一された方法が求められ、あまり高度な技術では共用できないのだろう。そのためもあってか、一般に形式的で鑑定水準は低い。これは一澤帆布遺言書事件などで露呈し、新聞などマスコミでも問題視されている。

     もと科学警察研究所(科警研)のトップの鑑定人の著書では、鑑定は「同一文字、同一書体」で行うのが原則とある。確かに、あまり能力の高くない鑑定人が行うのであれば、そのほうが間違いはないだろう。裁判官に誤解を生じさせないよう、私もほとんどの鑑定書ではその原則を尊重している。

      しかし、民事の世界では、鑑定人はその程度の大雑把な鑑定では依頼人の満足は得られないことが少なくない。つまり同じ文字や同じ書体がなくとも何とか鑑定できないかとの要求がある。当事者とすれば無理のない要望である。私は、鑑定書に書くことはめったにないが、実際は異なる文字や異なる書体でも比較し鑑定している。

  • 私の「精密鑑定」とは
  •  ほとんどの鑑定人の鑑定を大まかに言えば、つぎの図のように、@字形、A運筆(筆順、筆勢を含む)の2つで行っている。しかし、私はそれに書き手の「性格」をプラスしている。私が「精密鑑定」と表現している所以である。
  • 図1
  •  第一の字形とは、文字通り「文字の形」である。偏や旁の形、あるいは冠や足の形、あるいは傾きなど多くの要素はあるが、本質的に文字の各部と全体の形である。
    筆跡鑑定ではまずはこの面から点検する。

      例えば、京都の一澤帆布の遺言書騒動の決め手の一つは「喜」という字であった。父親が書いた2通の遺言書には上部が「土」と「士」の違いがあり、これで後から出てきた遺言書は偽造であることが判明した。判決では、この「喜」文字を警察系鑑定人は故意に隠蔽したと判断された。都合の悪いことは隠してしまう警察の体質が現れたようだ。
  • 図2
  •  第二の運筆とは、「筆の運び方」「筆の捌き方」である。例えば単純な「一」の字でも、グイとひねって起筆し緩やかに上に湾曲しつつ最後は下に押さえてグイと止める書道的な運筆もあるし、単純に一直線の横棒のように運筆する人もいる、同じ棒状でも最後を払う人もいるというように、人には習慣化した様々な運筆の癖がある。

  •  この運筆の癖は、手の使い方、動かし方のため比較的安定性が高い。「線の長さ」などは、その時の調子で狂いやすいものの典型である。「大」の字を想像していただきたい。気分が乗って書くときは左右の払いは長くなる。緊張したり萎縮していると無意識に抑制して短くなることが多い。

      「線の長さは」は大部分指先の動きで決まる。しかし、運筆はもう少し大きな動きになり腕や手を使うことが多くなる。大きな筋肉を使うほうが安定度が高くなる。ゴルフをやる方は、パターの時、手先で打つと狂いやすくなり、肩を回して打つと安定性が高くなることをご存知だろう。文字でも同じことである。

      広義に捉えれば「筆順」や「筆勢」も運筆の一環といえる。この中では、特に筆順は鑑定上重要な要素である。成人の場合、一定の筆順で書く割合が90%以上との調査もあり安定性が高い。

      筆順でよく取り上げられる文字は「田」の字である。この文字は「吉田」「山田」等と人名にも多いし、住所にはたいてい「町」の字があるので鑑定に使う度合いが高い。
    この場合、「冂」と書いた後の筆順は、@「タテ・ヨコ・ヨコ」とA「ヨコ・タテ・ヨコ」の二通りがある。正しくは@であるが、Aに書く人も半数近くいる。

  • 筆順は一澤帆布事件でも決め手になった
  •  前述の一澤帆布事件でも、決め手の一つは筆順であった。一澤帆布の「布」文字である。最初の遺言書は、書き出しを「ノ」から始めて次に「一」と書いていた。正しい筆順である。ところが後から出てきた遺言書では、書き出しを「一」から始めて次に「ノ」と書いていたのである。

     「布」字は、「一澤帆布」の自分の会社の社名である。社長の父親としては、おそらく何千回も書いているだろう。このような人が、ときにより違う筆順で書くとは考えられない。これが決定的な決め手になったのである。

     という訳で、普通の鑑定人は以上の「字形」と「運筆」の二つが鑑定の柱になる。もちろん細かく言えば、この他にも「文字のレイアウト」とか「誤字」とか細かなチェックポイントはあるが、大きくは「字形」と「運筆」である。

     しかし、私は、その「字形」と「運筆」のベースになる「書き手の性格」からの調査をプラスしている。これは筆跡心理学であり,欧米の筆跡鑑定は、どの国も私と同じ方法で行われていると聞いている。

     文字に現れた様々な特徴は、性格をベースとして、それに訓練(書道など)の有無や、文字を書く頻度、社会的なポジションなどの要素が加わる。従って、私のように「性格」をベースに行うことが鑑定の王道なのである。

      前述した「一」の字でも、グイとひねって起筆し緩やかに上に湾曲しつつ最後は下に押さえるように止める人、一直線の横棒のように書いて最後は払うように力を抜く人と運筆は様々であるが、これらの筆跡特徴にも根本的には性格が反映している。だから、性格面から検証ができるか否かは、鑑定精度を高めるために極めて重要なのである。

      このように筆跡鑑定を深く理解すれば、筆跡鑑定とは必ずしも同じ文字や同じ書体でなくとも鑑定は可能であることがおわかりいただける筈である。文字が違っても、あるいは、楷書・行書と書体が違っても比較対照することはできるのである。

  • 異なる文字で鑑定できる例
  •  例えばつぎのように、楷書・行書の「根」の文字を見ていただきたい。ここでは、「木偏の横画が左に突出する」という筆跡個性が見られる。この特徴は書体が違っても安定的に表れ、これは鑑定に使うことができる。この書き方を筆跡心理学的に言えば、「才気煥発」な人に見られる特徴である。このように書体の違う文字を比較するときは、鑑定人は、これは書体による違い、これは筆跡個性の違いと整理して説明すればよいのである。
  • 図3
  •  最後に、実際に鑑定で採用した具体例を示そう。あまりに共通する文字が少ないので,共通する部分で説明した事例である。同じ文字ではなくとも共通部分でこれだけ明確な鑑定ができることがわかる。
  • 図4
  •  資料Aの「東」字が鑑定資料、Bの「日」字が書き手の判明している対照資料である。主要なa、b、c3カ所で説明しよう。aで指摘したのは、「転折部の形状」である。

     私どもで「特殊角」と称しているが、一旦右に出て左上に戻り、その後下に向かうという珍しい運筆がされている。それが資料A・Bで見事に一致している。この運筆はおおよそ20人に1人程度が書く「稀少筆跡個性」である。この一致は、ありふれた特徴の一致とは異なり価値がある。

     bで指摘したのは、「日」字の内部の横画の形状である。この書き手は何故かこのような部分を図のように右下がりに書く。このかなり珍しい筆跡個性が2字でよく一致している。

      cで指摘したのは、「日」字の最終横画の形状である。この画は前項の内部横画とは逆に右上がりに書き、終筆部を払っている。これも2字によく一致している。

     ところで、このa・b・cで指摘したことは、拡大し指摘されて初めて気づくような微細な特徴である。気付かないものに作為を施すことは考えにくい。
    つまり、この一致は、同一人の筆跡の可能性を高くし別人の偽造などの可能性を低くしていると言えるのである。

     ということで、異なる文字でもこれだけ比較ができることを説明した。私が注意を喚起したいのは、今までの、警察系の鑑定の方法論や低い限界説に裁判官が影響を受けて、筆跡鑑定を低次元の固定観念で捉えてほしくないということである。
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