筆跡鑑定人ブログ
筆跡鑑定人ブログ−31 |
筆跡鑑定人 根本 寛 |
このコーナーに書くのは、事実に基づく、筆跡鑑定人の「独り言」 のようなものです。お気軽にお付き合いいただければ幸いです。 |
白洲次郎の筆跡 (09−3−10) |
■ | 鶴川村の旧白洲邸を尋ねる 先週の土曜日に、最近テレビで放映されている白洲次郎の旧邸「武相荘」(ぶあいそう)に行ってきた。私の住まいから遠くない、町田市・鶴川に、彼が移り住んだ旧白洲邸が公開されていることは知っていたので、前から一度行ってみようと思っていたのである。 |
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■ | 白洲次郎の生き方 帰国後は、英字新聞記者を経て商社に勤めた。昭和17年、日本の敗戦を予測し、妻・正子と二人の子供を連れて東京都町田市……当時の鶴川村に移り住み百姓となった。白洲次郎40歳であった。 |
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■ | カントリー・ジェントルマン 英国で学んだ白洲次郎は、紳士道の影響も受けていたが、同時にカントリー・ジェントルマンの生き方を理想としていたようだ。 |
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■ | マッカーサーにも直言する |
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しかし、アメリカとの戦争そして敗戦という激動の時代は、白洲次郎に平穏な生活を許さなかった。昭和20年、吉田茂に請われ終戦連絡中央事務局参与となり、日本国憲法成立などに関与した 。 |
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■ | 自由と平明さの溢れた筆跡 |
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つぎの文字は、白洲次郎の筆跡である。これは、旧白洲邸で見学者用に用意してある記念スタンプの文字である。実は「武相荘」の文字は二つあり、パンフレット等に使われているのは、司法大臣を務めた風見章氏に書いてもらったものである。 |
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