筆跡鑑定人ブログ

筆跡鑑定人ブログ−57
筆跡鑑定人 根本 寛
 このコーナーに書くのは、事実に基づく、筆跡鑑定人の「独り言」のようなものです。お気軽にお付き合いいただければ幸いです。
 ただし、プライバシー保護のため固有名詞は原則的に仮名にし、内容によってはシチエーションも、特定できないよう最小限の調整をしている場合もあることをご了解ください。
  • 暴力犯の筆跡(23-3-12)
  • 筆跡に見られる3人の共通性
  •  つぎの筆跡をつぶさに見て頂きたい。上から「中田カウスへの脅迫状の筆跡」、「ロス疑惑の三浦和義の筆跡」、「英国女性講師殺しの市橋達也の筆跡」である。中田カウス事件は、暴力事件とまでは言えないが事件の性格としては暴力分野と言えるだろう。
  •  また、三浦和義は、日本の最高裁で無実ではないかと思われるかも知れないが、あれは検察の立証が不十分だっただけで、フルハムロードの役員D子さん殺しも含めて、私は100パーセント三浦の犯行だと信じている。
  • 図1
  • 三筆跡とも「粘着気質」で「情緒未発達」を感じさせる
  •  三つの筆跡は、よく似ていると感じられないだろうか。いずれも「力強くて直線的」、「字間が詰まり気味」、「ハネを書かない」という共通点がある。これらは、暴力系の犯人に概ね共通する傾向である。秋田の子殺し事件・畠山鈴香の筆跡も一致している。今回は、これらの筆跡と暴力事件との関連性を分析してみよう。
  •  まず第一の「力強く直線的」という特徴である。「力強い」ということは、「粘着気質傾向」を示していると思われる。クレッチマーは筋肉や骨のしっかりしたがっしり型の人は「粘着気質」だと述べている。
  •  粘着気質の人は、几帳面で、秩序を好み、物事に熱中する。堅いとか、まわりくどいと言われるかもしれないと説明している。つまり、思い込んだら一筋といった感じなので、視野の広い多面的な見方が出来にくいようだ。これは、短絡して事件を引き起こしやすい性格といえるのではないだろうか。この特徴は、特に中田カウス事件の脅迫状と三浦和義の筆跡に強く表れている。
  • 情緒性が未発達で自己中心的な行動になる
  •  つぎに「直線的な文字」ということである。これは私ども筆跡心理学の立場からは、「情緒性が未発達」であると解釈している。情緒性とは「優しさや思いやりの心」、「美しいものなどへの感動性」といった感性の面である。感性の豊かな人は、画線の柔らかな曲線となって表れる。
  •  そのような感性が未発達だと、例えば、自分の行動によって相手が困ることや苦しむことがあっても、その痛みを想像出来ない、つまり、相手の痛みを察して行動を慎むということなく、自分の欲求にがむしゃらに突進してしまうという子供じみたパーソナリティだということである。
  •  三浦和義も市橋達也も、自己中心的で、自分の欲望を満たすためなら躊躇しないというような人間性のように思われる。二人とも、頭がよくすばしっこいが、情緒的な感性が欠落しているように思われる。
  •  第二に、「字間が詰まる」ということである。3人とも文字と文字が衝突するぐらい詰めて書いている。文字のレイアウトも行動傾向を示しているので、字間がつまるということは、行動と行動の間に間をおかないという行動傾向を示している。
  •  行動と行動の間に間をおかないということは、何か一つのことが終わったら休憩することなく、直ちにつぎの行動に移るということで、つまり「せっかち」ということになる。
  •  このタイプの人は思い立ったらすぐ行動しないと気が済まなく、のんびりやっているとイライラするようだ。しかし、世の中は自分の思うようにばかりはいかない。そうすると怒り出すというような人もいる。いわゆる「癇癪持ち」と言われるパーソナリティだ。
  •  このような人たちは、その短気さで周囲を困らせることもある。その本質の一つは、心理エネルギーが大きいともいえるだろう。結果、休憩を取らないエネルギッシュな行動になる。良い方向に働けばよいが、悪い方向に発揮されると困ったことになるのだ。
  • 熟慮とハネの関係
  •  第三に、「ハネを書かない」という筆跡個性である。前述したように三人とも粘着気質的な思い込みの強さと視野の狭さが感じられる。このような性格の人ならば、多くは粘り強く行動すると考えられる。
  •  しかし、三人ともハネは書かない筆跡個性である。中田カウス事件の筆跡は「前、野、崎、同」等に見られる。三浦和義は「葛、浦、義」などがそうだ。市橋達也の筆跡では「府」がそうである。
  •  ハネを書かないということは、筆跡心理学の立場からは、粘りがなく、切り替えが早いと判断される。何故なら「ハネ」を書くことは「最後まで力を抜かない」という行動傾向を示していると見るからだ。「最後まで力を抜かない」ということは「粘り強く行動する」ということである。
  •  また、「最後まで力を抜かない」という行動傾向が思考の面に発揮されれば、「熟慮する」という形になって表れる。物事を深く考える人は、どのような条件下であっても、人を殺めるというような行動には走らないだろう。
  •  視野が狭くて思い込みが強く、しかも短気傾向の人間が熟慮しないで行動するのだから、行動は素早くなり暴走する可能性が高いことは容易に想像がつく。この三人の事件は、まさにこのようなパーソナリティの結果と考えられる。
  •  「ハネを書く」ということは、単にそのような書字習慣を持っていないということも出来る。確かに、最近の若者はハネを書かない人間が多くなっている。スピード時代の反映かもしれない。しかし、書道を習ったことのある人でハネを書かない人はいない。
  •  私は書道界の人間ではないが、筆跡心理学の立場からも、昔のように多くの人が書道を習うことが望ましいと思う。集中力、粘り強さ、我慢強さ、責任感、更には美的な感覚などを涵養するうえで大切なことだと感じている。
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