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筆跡鑑定人ブログ-70
- 筆跡鑑定人 根本 寛
- このコーナーに書くのは、事実に基づく、筆跡鑑定人の「独り言」のようなものです。お気軽にお付き合いいただければ幸いです。ただし、プライバシー保護のため固有名詞は原則的に仮名にし、内容によってはシチエーションも、特定できないよう最小限の調整をしている場合もあることをご了解ください。
ふつうの人の想像を超えた文字の書き手とは
[超越]とは、「普通程度を遥かに超えた状態」ということである。したがって「超越文字」とは、「普通の程度を遥かに超えた文字」ということになる。
だから、単に乱暴な文字とか少々変形した文字というレベルではなく、普通の人には、想像もつかなく、書けないような独特の超越した文字ということになる。
このような文字で、私が思いつくのは、前に書いた陶磁器鑑定家の中島誠之助さんの他に、女優の岸恵子さん、歌手の島倉千代子さんがいる。三人とも実に面白い現実を超越したような文字を書いている。
中島誠之助さんの「様」の文字
中島誠之助さんの文字は、私にいただいたハガキの「根本寛様」の中から取り出した「様」の文字である。ご覧のような、同じ超越でも「超省略」とでもいうべき字体である。
行書でも草書でも、これほどの省略はしない。名前の下に書いてあるから「様」だろうと見当はつくが、この文字だけポンと示されたら読める人はいないだろう。恐るべき省略文字だ。
岸恵子さんは「岸」は読めるが「恵子」が超越文字といえる。これも「岸」があるので読めるが「恵子」だけではほとんどの人は読めないのではないのではないだろうか。
島倉千代子さんは「子」だけが超越文字である。芸能人の極端にディフオルメしたサインというわけでもないのに、「子」の文字だけは思い切って省略したものである。
さて、このように、サンプルで、超越文字については何となくイメージを掴まれたとおもうが、このような文字を書く方の人物というか、性格はどのようなものなのかということが今回のテーマである。
三人とも特別な才能の持ち主
私の経験からすると、このような文字を書く方で平凡な人はいない。皆、何かしらの特異な才能の持ち主といえる。この三人も特異と言うのは当たらないかも知れないが、一つの道において特別な才能の持ち主であることは間違いない。
中島誠之助さんは、「なんでも鑑定団」で有名だが、特に古伊万里の研究では第一人者で、わが国の古伊万里の相場は中島で決まるといわれるほどの権威である。
岸恵子さんは、言わずと知れた国際派女優。文章も一級でエッセイ賞などいくつも取っている才女である。一人娘の麻衣子さんがいる。1932年の生まれだから79歳になるが益々元気で活躍している。
私は数年前、横浜元町の街角で偶然彼女を見かけたことがある。黒の日常着的な服装でさりげなく街に溶け込んでいた。それだけで、何かパリの片隅のような洒落た雰囲気が漂っている感じがした。
私はフランスの女優カトリーヌ・ドヌーブが好きだが、彼女がパリの街角に立っていたら、ちょうどよく似た雰囲気になるのではないだろうか。そんな印象を受けた。
島倉千代子さんは、まさに国民的歌手ともいうべき方で、NHKの紅白歌合戦30回連続出場記録を持っている。1938年の生まれだから73歳になるが、独特の高音は衰えを見せない。
彼女の名前の筆跡も、芸能人に多いデザインされた文字ではない。ほぼ普通の字体である。しかし、「子」の文字だけが極端に省略されている。これも一字だけ示されたら「十」と間違えそうである。
文字に顕れる特徴は深層心理からのメッセージ
さて、このような超越文字を書く人の性格……もっと正確にいえば「深層心理」はいかなるものなのだろうか。筆跡は文字を書いた行動の結果だから、「文字は行動の痕跡」といえる。数百年も昔の人物の文字からでも、書き手の行動が理解できる。考えてみれば凄いことである。
そして、その行動を司っているのは深層心理である。深層心理は心理学の用語であり、脳科学でいう「潜在意識」とほぼ同じものである。つまり、われわれは、日常行動は意識で判断して行動しているように思っているが、意識されているのはごく一部である。学者によっては意識が管理しているのは行動の10%程度だとの意見もある。
大部分は「何気ない行動」という言葉のように、一つ一つの行動は特に意識して行っているわけではない。それは深層心理…潜在意識によってコントロールされている。だから、深層心理を「行動統制機能」と言うこともできる。
フロイトやユングの説明する深層心理
フロイトは、深層心理は、欲望や欲求、怒りや憎しみ、苦しみ悲しみ喜びや快感、コンプレックスなど「強い感情」からなってするといった。その強い感情がそのまま表に出てくると、社会的には問題が生じるので普段は表層心理で蓋をした状態になっていると説明した。ただし、この蓋はピッタリと閉じたものではなく、ある程度の隙間があるようだ。
その深層心理は、幼少期や思春期における様々な体験や劇的な体験……つまり、近親者の死や犯罪に出くわした(または起こした)体験、大きな失敗や失恋、重い病気や怪我、あるいはトラウマやコンプレックスなどによって形成されるという。それらの「強い感情」が、普段は意識によって抑え込まれているが、表層意識の働かない、夢の中、高熱の時、泥酔状態のとき、あるいは緊迫した状況のときなどに表出すると言われている。
ユングは一歩進めて、深層心理は、具合の悪いことばかりではない。ある種の芸術など創造性の源泉でもあると説明した。私はこの説を尊重している。つまり、欲望や欲求、怒りや憎しみ、苦しみ悲しみ喜びや快感、コンプレックスなどを「原初的エネルギー」と見るならば、そのようなエネルギーを、社会的に歓迎される形に昇華させたものが、ある種の芸術というものではないかと思う。
超越文字と抽象画の類似性
フロイトによれば、特別の状態でないと表面化しないと言われている深層心理は、意識によって抑え込まれない……つまり表出しても特に都合の悪いとは思わないものは、意識というスクリーニングの隙間から、何気ない行動やしぐさなどとして表面化してくるものと思われる。
筆跡とは「行動の痕跡」だから、普段は表面化しない深層心理の一部が、筆跡という形になって表に出てきた姿と考えられる訳である。
さて、そこで、超越文字の意味することだが、この文字の書き手は、深層心理に、多くの人とは異なる、何かしら独特の感情や感覚を持っていると考えていいのではないだろうか。それが、創造的な才能と相まって超越文字として書かれるのではないかと思われる。
例えば、中島誠之助、岸恵子、島倉千代子の超越文字は誰にでも書けるというものではない。個性的なその形は、深層心理にあるものが、ユングのいう「創造性」と相まって表出したものであり、例えば抽象画の絵などと共通する一つの「昇華活動」なのではないのだろうか。
それは、深層心理にある独特ななにものかと、それを形として表現する才能があってのことだと思われる。また一方、他人には読めなくとも気にしないという、これまた、常識を超越した芸術家につながる性格的な側面もあるのだろう。
……ということで、超越文字が意味するものは、具体的な事象としては言えないが、「普通の人にはない特異な才能の持ち主」らしいといってよいのではないかと思う。その超越文字は、日常行動としてはどのような表れ方をするのか……と考えると、これは、また次の課題である。
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