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筆跡鑑定人ブログ-62
- 筆跡鑑定人 根本 寛
- このコーナーに書くのは、事実に基づく、筆跡鑑定人の「独り言」のようなものです。お気軽にお付き合いいただければ幸いです。ただし、プライバシー保護のため固有名詞は原則的に仮名にし、内容によってはシチエーションも、特定できないよう最小限の調整をしている場合もあることをご了解ください。
生命保険会社などで筆跡鑑定の研修を実施
私は、筆跡鑑定人としてほぼ唯一だと思うが、大手企業の筆跡鑑定の研修を行っている。代表的なのは生命保険会社である。生命保険会社は、7年ほど前から5社に対してそれぞれ複数回の研修を行い、述べ30回程度は行っている。受講者は、契約の管理などの顧客サービス部門の社員(パート含む)さんである。
研修の内容は、前後二部構成で、前半は鑑定の考え方や方法論の理論、後半は実際の資料を使って実習をしている。理論編では眠そうな顔も少しは見られるが、実習になると、仕事に直結していることと、シャーロックホームズ的な面白さもあり、皆、生き生きと受講している。
前半の鑑定の理論の部分では、筆跡鑑定に対しての裁判所の見解、鑑定の技術的な根拠、鑑定の要点、筆跡の年齢による変化、筆跡個性(筆癖)の意味など、鑑定に携わる上で必要な理論や基本知識を習得していただく。
後半の実習では、マスコミで話題になっているような事件をふくめ、実際の資料の中から、署名を取り出し(もちろんプライバシーに十分留意して)、比較して一致点はどこにあるか、不一致点はどこかなど、ポイントを指摘しながら質疑応答の形で進める。
最初は、どこに着眼したら良いのか分からなかった受講者も段々とポイントを発見できるようになり、自分でも理解力がついてきたことを実感できるようになってモチベーションが上がってくるという状況である。
筆跡鑑定のスキルも合理的な教育が可能である
このような研修に対して否定的な見方の人もいる。ある携帯電話会社は、「振り込めサギ」などの被害対策からかなり本格的な研修を企画したが、担当役員の「筆跡鑑定なんてものは、そんな付け焼刃でできるものではないだろう」との反対があり中止になったこともある。
しかし、これは浅い考え方である。もちろん本格的な鑑定能力が短時間で 身につけられないことは自明である。しかし、どのようなスキルでも教育が無効ということはない。例えば筆跡鑑定の世界といえども、極めて難しいAランク、中間のBランク、比較的やさしいCランクと様々やレベルの事件が発生する。
2~3時間の研修で対応が可能になるのはCランクである。BとAランクについては、研修前は右も左も分からなかった人が、少なくとも、これは専門家の調査が必要だという程度の判断ができるようになる。
そんなわけで、昔からわが国には、職人的なスキルは盗んで身につけるものだとの考え方があるが、それはそれなりの良さもあると思うが、計画的な教育によって比較的短時間でものにすることも出来るのである。
たとえば、フランス料理のシェフともなれば職人技の世界であるが、意欲的で育成意識の高い料理長に指導されて、普通の人の4分1、3分の1の時間で技術を身につけたシェフの話などを聞くこともある。筆跡鑑定も同じで、要は、上に立つ者の育成意識と、本人のやる気の問題だと思う。
生命保険会社における研修の効果
さて、生命保険会社で筆跡鑑定の研修をしてどのような効果があったかということである。生命保険会社は、顧客との関係が10年20年と長期になることが多い。そのような長期間の付き合いになれば、当然様々な保険契約の条件変更が生じることになる。
たとえば、解約や受取人変更などがある。このようなケースの場合、夫の契約を奥さんが無断で変更しようとするなどのケースは往々にしてある。また、契約加入時の問題としては、残念ながら保険会社の社員による筆跡の偽装ということもある。多くの書類に署名をもらわなくてはならないから、一つ位うっかりしていて、さほど罪の意識も無く顧客の署名を偽装してしまうものと思われる。
このような署名の問題が支払い段階で発覚し、支払不能になったりすると大変である。事実、このような問題を含め不払いが多発して一時は大きな社会問題になった。早くから私の研修を導入したある会社は、この手の事件がほとんどないと聞いている。
大事なことは、筆跡の偽装行為により発生したトラブルの原因が顧客側であれ会社側であれ、万一あれば、その損失はイメージダウンを含めて極めて大きいことである。したがって生命保険会社としては出来る限り、この手のトラブルに対する防止策を取ることが使命であると考える。その解答の一つが、社員に対する鑑定の研修なのである。
筆跡鑑定は重要なリスクマネジメントである
本部の顧客管理部門で、このような研修がされ、厳しくチェックされていることが社内の末端まで周知されるとこのような問題は激減する。一つのアナウンス効果ともいえる。これは実際に痛感している。なぜなら、私が研修を引き受けている会社では、併せて鑑定の調査も受けているから、このような問題の発生頻度は把握できるからである。
このような事から、私は、筆跡鑑定の研修は企業の効果的なリスクマネジメントだと理解している。コスト的にも、企業でこの手のトラブルが一つ発生しただけでも、調査や善後策で100万位の金は軽く飛んでしまうだろう。それが研修によって防止できれば、たとえば、仮に100人の社員×2時間の研修の時間コスト、講師への謝礼など併せても数十万である。しかもその効果は長期にわたって期待できるのである
あるクレジット会社のお粗末な顧客対応
私は、筆跡鑑定人として、様々な相談を受ける。先日も、著名なクレジット会社が、顧客が署名を認めていない「ぼったくりバー」の請求を取り立てて問題を起こしている。
クレジット会社は、カードが真正のものであり、署名があれば払うようにしていると主張しているが、その案件は顧客から「自分はそのサービスを受けてもいないし署名もしていない。不正使用であるから調査をして欲しい」と内容証明で要請されていたものである。
クレジット会社は、不正使用を防止するためにとしてカードの裏に署名を求めている。その顧客はきちんとそれを実行していた。これは、不正な使用防止を期待したからに他ならない。ところが、ボッタくりバーの請求書になされた署名は、似ても似つかぬものであり4文字の氏名が全く読めないものであった。
このクレジット会社は、二重に間違いを犯したことになる。つまり、不正使用の調査要請を無視したことと、署名のでたらめなチェックということである。後者については、筆跡鑑定についての基礎的な知識があれば防止出来たものと思われる。
今日、セキュリティの方法は、IDやパスワードを始め、生体認証として指紋、静脈、虹彩など色々と考えられている。しかし、IDやパスワードは忘れるという問題があり、生体認証は、読み取り装置が必要になるという限界もある。セキュリティと利便性は相反する性格のものだからである。
人間社会は、文字による記録が多いことも考えると、これからのセキュリティには、筆跡鑑定の活用を検討すべき業界は多いと思われる。筆跡による方法は古臭いようでいて、ちょっとした学習によって効果を上げることが可能でコストも安い。
欠点は、指紋のように絶対不二ではないことで、解釈によって同じ筆跡でも結果が異なることがあることである。しかし、疑問が生じた場合、一定レベル以上は、信頼できる専門家に委ねるなどの対策を講じればその欠点はかなり克服することが出来る。ぜひ、多くの業種でリスクマネジメントの観点から活用を検討して頂きたいと思う。
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