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筆跡鑑定人ブログ-43
- 筆跡鑑定人 根本 寛
- このコーナーに書くのは、事実に基づく、筆跡鑑定人の「独り言」のようなものです。お気軽にお付き合いいただければ幸いです。ただし、プライバシー保護のため固有名詞は原則的に仮名にし、内容によってはシチエーションも、特定できないよう最小限の調整をしている場合もあることをご了解ください。
筆跡鑑定で最も難しいのは筆跡個性の特定である
今回は、筆跡鑑定の実際の進め方を具体的に説明しよう。弁護士さんなどの実務家や筆跡鑑定に興味がある人には面白いのではないかと思う。筆跡鑑定のステップはつぎのように3段階になる。
①鑑定資料から筆跡個性を特定する
②特定した筆跡個性を、対照資料の筆跡個性と比較する
②その筆跡個性が、同一人のものか別人のものかを判断する
筆跡個性とは、筆癖とも呼び、書き手に固定化した「筆跡の癖」をいう。人には誰でも何らかの癖があるように、筆跡にもその人独自の個性がある。筆跡鑑定は、まず、鑑定すべき筆跡からその人独自の癖を発見する。そして、それを対照する筆跡(書き手がわかっている筆跡)と照合して、同一人の筆跡か別人の筆跡かを判別することだから、筆跡個性の把握がポイントになるのだ。
そんなわけで、3ステップのうち、筆跡個性の特定が最も重要になる。これができなければ、その先の「比較」にも「異同判断」にも進むことはできないからである。
筆跡個性の「恒常性」とは
筆跡個性は、長年かかって筆者に固定化しものだから、何回書いても同様の筆跡個性が表れる。これを「筆跡個性の恒常性」と呼び、筆跡鑑定を成立させている中心要因である。
しかし、恒常性があるといっても、生きた人間が書くのだからゴム印のように一定しているわけではない。書くつどにある程度の変化がある。これを「個人内変動」と呼ぶ。つまり、個人内変動とは、同じ人が同じ文字を書いたときに生じる変化である。
この個人内変動が、筆跡鑑定を難しくしている最大の要因といえる。なぜなら、それこそゴム印のように安定した筆跡個性の持ち主もいれば、書くつどに別人のように変化する人間もいて、個人差が激しいからである。
個人内変動は鑑定人泣かせ
個人内変動の激しい人の主な理由は、文字を書く機会が少ないため、機能面を受け持つ腕の熟練度が低いためである。ある大手会社の社員のケースでは、22歳の入社時の作文の筆跡と、40代の報告書の筆跡がほとんど変わっていないので驚いたことがある。きっと、学生時代に相当な文字数を書いたため、筆跡個性が安定したのだろう。
人が文字を書くということは、手が勝手に動いて書き表すのではなく、まず脳に蓄えた字形のデータが想起され、それを腕という道具を使って書き表すわけだ。従って、筆跡個性には大きく二要因が影響する。すなわち、「脳にある字形のデータ」と書き表す「腕の熟練度ないしは器用さなど」である。
だから、筆跡は、手で書いても、口にペンを咥えて書いても、足にペンをくくりつけて書いても、本来は同じ筆跡個性が表れる。脳に蓄えた字形のデータは同一だからだ。ただ、機能面を受け持つ手や足の熟練度の差が違いを生むにすぎない。このことは100年以上前にドイツの医師が実験により証明している。
群馬県に星野富弘さんという有名な詩画作家がいて、同じことを証明している。星野さんは、体育の先生をしていたときに鉄棒から落下して頸椎を損傷し全身麻痺になった。今はベッドに横になり口に筆を咥えて書いているが、訪ねてきた大学時代の友達が「学生のころの字とまったく変わらないね」と驚くそうだ。
筆跡鑑定では、ある文字が、Aさんの筆跡鑑かBさんの筆跡かをはっきりさることが目的だから、似たような字形の場合は、同一人なるが故の一致か別人の偶然の空似かをはっきりさせなくてはならない。
また、異なる字形の場合は、同一人の個人内変動なのか、別人なるが故の違いなのかをはっきりさせることになる。それには、同じ文字を出来るだけ複数個調べて、本当の筆跡個性を把握することが必要になる。しかし、複数個の文字があるのに、一つしか調べないとか、自分に都合の良い文字ばかり取り上げるなどの鑑定人が少なくないのが困ったことである。
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