筆跡鑑定書の信頼性

筆跡鑑定人ブログ-32

筆跡鑑定人 根本 寛
 このコーナーに書くのは、事実に基づく、筆跡鑑定人の「独り言」のようなものです。お気軽にお付き合いいただければ幸いです。ただし、プライバシー保護のため固有名詞は原則的に仮名にし、内容によってはシチエーションも、特定できないよう最小限の調整をしている場合もあることをご了解ください。

 

『JW』で取り上げた司法のタブー

『JW』という不定期の雑誌がある。JWとは「ジュディシャル・ワールド」の略で、直訳すれば「司法の世界」ということになるが、意訳すれば「司法エンターメント」ということらしい。つまり一般に難しいと思われている司法(権力)の世界を楽しんでしまおうということらしい。

なかなか今日的なテーマだと思うが、出版している会社名も「リーダーズノート」と、いわば「指導者の覚書」となり、この会社のコンセプトがよく表れているように思う。

3ヶ月に1冊くらいの割合で出版され、21年3月、5号が発刊された。この号では、「司法界のタブー」が特集されている。

『JW NO5』 (リーダーズノート株式会社 TEL:03-5815-5428)

警察OBの鑑定人は意識改革が必要

この雑誌の中で、筆跡鑑定界の問題もテーマの一つになって、一澤帆布の例をはじめとして警察系の鑑定人が批判されている。その中でこの逆転判決の元になった遺言書の鑑定について、功労者である神戸大学院国際文化研究科の魚住和晃教授はつぎのように語っている。

「警察の行う筆跡鑑定は、証拠固めのために用いています。今回の高裁判決でも、科捜研OBの鑑定は類似文字を目的のために集めたにすぎない、とはっきり断定しています。そういう意味で我田引水のような筆跡鑑定は通じなかったということでしょう」

これは、私が常々警察系の鑑定は、どうして偏りが多いのかと疑問を呈してきたことへの一つのヒントを与えてくれた。

刑事事件における筆跡鑑定は、公平な立場で真実を究明するというよりは、捜査に裏づけを与えるという立場で行われてきたのであろう。それを20年、30年と続けていれば、「目的のためにはどのような鑑定が必要なのか」と発想する体質が身についても不思議ではない。しかもそれが、組織のタテ社会構造によって補強される。

それが、OBとなって民間の鑑定人となると、今度は、「この裁判ではどのような鑑定が求められているのか」と、真実追及よりは裁判官の心証を計ろうとする行動になって表れても不思議ではない。

このように、理解すると、警察OBの鑑定人は、よほどの意識改革をしないと、「周囲の雑音に左右されず真実のみを述べる」という鑑定人の本旨から外れてしまうだろう 。

筆跡鑑定は裁判官の心証固めの道具ではない。裁判官が真実に迫れるよう、専門技術者として協力することが本旨である。

結局、公平な鑑定書が身を救う

ところで、幸いにもJWでは、このような私の意見も取り上げてくれた。 筆跡鑑定のまとめの項は、つぎのように私の言葉で結んでいる。

「依頼者側に立った鑑定書では、後々、困ったことさえ出てきます。実際、裁判には相手がいます。裁判の後半になって、相手から不利な事実が示されたら、弁護士は狼狽してしまうでしょう。最初から不利な事実を知って対応すれば、まずまずの条件で和解することもあります。正直な対応こそが、結局は最良の方法なのです」

日本の筆跡鑑定の問題とは

一澤帆布の逆転判決以来、筆跡鑑定の信頼性について問題提起がされている。この問題を整理すると概ねつぎの4項目に収斂される。

1.警察系鑑定人偏重の司法と鑑定界の構造問題。
2.「科学警察」といいながら警察の鑑定に科学性がないこと。
3.筆跡鑑定には一定の基準がないことへの驚き。
4.筆跡鑑定人は公的資格でないので資格制度が望まれること。

これらは、私が従来から問題提起をしていたことであり、概ね妥当な問題意識である。ただ、表面的にしか理解していないため誤解もある。特に「非科学的」などという話題になるとすぐに「コンピュータ鑑定」などに短絡する向きがあるがこれは誤りである。

コンピュータ鑑定は、鑑定の補助作業としては有効だが、筆跡鑑定の本筋から見れば将来ともにさほどの期待は持てない。しかし、ここではそういうことを述べるつもりはない。また、問題の全体を論じると長くなるので、「警察系鑑定人偏重の司法と鑑定界の構造問題」とそこから生ずる「倫理観の欠如した鑑定界の現状」について、具体例を挙げてお話ししたい。

鑑定界の構造的な問題が諸悪の根源である

警察系…つまり警察及び警察OBの鑑定が遅れているのは、司法を含む鑑定界の構造的な問題が根源である。具体的には、司法が、筆跡鑑定に関しては警察OBの鑑定人を偏重していることである。

民間には、警察OBよりも能力が高く、倫理観の高い鑑定人が明らかにいる。しかし、このような民間人は裁判所の鑑定人リストにはめったには載せてもらえない。鑑定人リストに載っていなければ「裁判所が委嘱する鑑定人としては指名されない」という問題がある。

私の立場からは、警察OBだろうと何だろうとしっかりした倫理観と技術の持ち主ならばその既得権に文句をいうつもりはない。しかし、実態はその倫理観と技術に対して大きな問題があることである。

問題点とは、具体的には警察OBの鑑定技術の浅さと誤りの多さである。ここで問題なのは、その誤りは技術的能力によるものというよりも、先に述べたように、正しい鑑定をしようとする倫理観が欠如していることによるものが多いことである。

警察系の鑑定人で明らかに能力の低い鑑定人は多い。しかし、鑑定人としての能力不足は、問題には違いないが決定的な否定要件とはいえない。しかし、倫理観がなく、依頼者の望むままの鑑定書を書いてしまう鑑定人は最悪である。

鑑定人同士で始めてわかるおかしな鑑定

裁判所から、鑑定の委嘱を受けたのなら、原告・被告のどちらに立つ必要もないと思われるが、不思議なことにそれがあるのである。私の見るところ、概ね、争いの当事者の規模の大きい方に加担することだ。または、裁判官の心証を察知して、それに迎合すると思われることだ。

具体的には、組織対個人であれば組織に加担する。まして、行政対一般人ならどちらに加担するか言うまでもないだろう。これは多くの裁判官の行動にも通ずるようである。

このようなことが、私に何故わかるのかといえば、つぎのような実態を幾つも経験しているからだ。それは、今まで目にしたいくつかの鑑定書から「まずまずの技量を持つ鑑定人だな」と受け止めていたある鑑定人が、ある鑑定書では、「この誤りは、この鑑定人としてありえない」と確信できることがあるからである。

しかし、考えてみれば、これは、同じ鑑定人として、その鑑定人の鑑定書数部に目を通す機会がなければわからない。それも、参考に見るという程度では難しい。鑑定しなければならないという状況に追い込まれなければ深い掘り下げはしないからである。
その意味で、嘘のある鑑定人は、同業の鑑定人にのみ尻尾を掴まれるといってよいかも知れない。

一澤帆布のように、双方の鑑定が一部でも公開され、多くの人に鑑定の実状が理解されるということは、鑑定業界のレベルアップの面から大いに望ましいことだといえる。

超一流の警察系鑑定人の極めて怪しい鑑定

私も、一澤帆布の教訓に学んで、皆様の役に立つよう倫理観の欠如した典型的な例を一つ示そう。この事例は、実は2月10日、TBSテレビ『ニュース23』で放映されたものである。ただ、テレビでは細かな部分はカットされていたので、いま一つ分かりにくかったと思う。そこで、ここでは詳しく実態を説明したい。ある警察系鑑定人と私が真っ向から対立した話である。相手の鑑定人は、科学警察研究所(科警研)出身で、鑑定の本も出しているまさに日本を代表するX鑑定人である。

この事件は、中学生の女子生徒が、ある同級生から1年3カ月にわたりしつっこく脅迫の手紙を受けたものである。その結果、子供は心的外傷を受け登校不能になった。もちろん、この時点でその相手が明確にわかっていたわけではない。

心的外傷についてのウキュペデアの解説

心的外傷とは、外的内的要因による衝撃的な肉体的、精神的ショックを受けた事で、長い間心の傷となってしまうことを指す。外傷体験(traumatic experience)ともいう。これが精神に異常な状態を引き起こすと心的外傷後ストレス障害となる。 心的外傷は脳神経系への非可逆的ダメージであるので、心的外傷を伴う犯罪は、一般の傷害罪よりも重罪であるという考えが特に海外では増えてきている。

母親は、何度となく学校に対し指導を要請したが、学校側は母親の要請を無視し続けた。それだけではなく、むしろ母親に問題があるような対応であった。やむなく、母親は、学校と脅迫状を送ったと思われる子供の親を対象に善処を望む訴えを起したのである。

つぎに示すのは相手の鑑定人の鑑定書の一部である。枠に入れた1文字が脅迫文にある鑑定をすべき文字である。残りの8個の文字は、脅迫状を送ったと思われる子供の筆跡である。
X鑑定人は、鑑定文字の特徴を次のように3つ指摘して、「別人の筆跡」とした。

①第1画と2画で作られる「ひとがしら」が「ハ」のように離れている。
②第2画が短く書かれる。
③第3画が右下がりに書かれる

しかし、この三つの指摘は、かなりの問題がある。まず、②で指摘の「第2画が短いこと」であるが、その特徴は対照資料の番号1、3、5、7、8と8文字中5文字に表れていて、むしろ同一人の筆跡であることを示唆しているともいえることである。

つぎに③で指摘の「第3画が右下がり」は、同じく番号2、4にも表れているので、鑑定資料だけの特徴などとはとても言えないのである。

個人内変動の大きい文字の鑑定方法

この「今」の文字に関しては、鑑定文字は一つしかない。しかし、この事件で調査した文字の中には、鑑定文字が4~5字ある文字がいくつもあった。

それら複数文字を観察すると、「文字の形状の変化が極めて大きい」という特徴があることがわかった。このような変化を専門用語で「個人内変動」と呼ぶ。同じ人が同じ文字を書いたときに生じる変化である。

この個人内変動は、鑑定を難しいものにしているものの一つである。何故なら、書き手により変動幅がまるで違うからである。ある人はそれこそゴム印のように安定した文字を書き、ある人は書くつどに別人ように変化する。

だから、鑑定人がまずやるべきことは、鑑定資料から複数ある同じ文字を探し出して、どの程度の変動があるものかを調べることである。

これは、高齢者の遺言書の鑑定などでも必須事項である。高齢になると書写行動が不自由になるため、文字の乱れが大きくなることが多いからである。
その乱れを捉えて異筆(別人の筆跡)と誤る例が多い。これは書き手独自の「筆跡個性」についての理解が不十分だからである。

筆跡個性とは、文字が違っても同じような箇所には同じように表れるものである。たとえば「口」字の右上の「転折部」(てんせつぶ)は、大まかに言っても「角張る人」「丸くなる人」「中間的な形の人」と3通りになる。この筆跡個性は、「月、日、田」など、同じような形状を持つ文字には概ね同じように表れる。

逆にいえば、このように、同じ形状の部分に同じ規則性が見られなければ安定した筆跡個性とは言えず、そのときだけの偶然の結果かもしれない。だから、厳密に筆跡個性と特定するには、1文字では不十分で複数文字を点検する必要があるのである。

また、個人内変動は、怪文書などに多い「韜晦」(とうかい=自分の筆跡を隠して書くこと)を発見する上でも必要である。韜晦文字は、本来の筆跡個性を隠して書くために、筆跡個性が乱れることが多いからである。

このようなことは、鑑定人なら誰でも知っている基本的な作業である。日本を代表するような鑑定人が、こんな初歩的な作業を知らないはずはない。

科学的な鑑定とは鑑定態度の問題である

ともかく、私は、この女学生は個人内変動が激しく、筆跡個性が安定していないことがわかった。このような対象者の場合、鑑定資料1文字では筆跡個性を的確に判断することはほとんど困難である。

したがって、鑑定対象の「今」1文字から筆跡特徴を抽出するということは、鑑定的には全くナンセンスなのである。

このような場合、鑑定資料は1字、対照文字は複数あるという状況なら、その複数の対照文字から「安定した筆跡個性」を抽出し、その筆跡個性が鑑定資料にあるのか否かと調べなければ正しい鑑定にはならない。このように初歩的なことをX鑑定人が知らないはずはないのである。
ともかく、私は8個の対照資料を調べた結果、対照文字にはつぎの二つの安定した筆跡個性があることを確認した。

①「第1、2画で作られるひとがしらが全体のバランスから見て小さいこと」である。

②「最終『フ』の字が全体のバランスから見て大きいこと」である。

この二つの特徴は、私の鑑定書では「書道手本」を提示しているから、そ の書道手本と比べていただけばわかりやすいはずである。スペースの都合で 鑑定・対照3文字のみ示すが、指摘した2つの特徴は、鑑定資料と対照資料 によく一致していることはお分かりになると思う。したがって、私の結論は 「同一人の筆跡」ということになる。

このように、対照資料8個は個人内変動が激しいが、同一人が書いたもの だから、そこには必ずや共通する筆跡個性があるのである。

「科学警察」などと標榜しながら、警察系鑑定人には「科学性」がないと 言われるが、その本質は、このような正しい鑑定態度が欠如していることが 本筋である。科学的とは、コンピュータを使うとか、顕微鏡を使うなどの問 題ではない。鑑定態度が科学的か否かなのである。

 警察系の鑑定と私の鑑定に対する当事者の感想

このようにして、私は20字以上を鑑定して鑑定書を作成した。ここで、 相手の鑑定と私の鑑定についての、依頼人の感想を紹介したい。

依頼人、つまり脅迫を受けた側の母親の、鑑定についての感想は、鑑定人 は当然として、裁判官や弁護士など、司法関係者は虚心に受け止める必要がある。

多数の鑑定書を作成・提出してわかることは、多くの場合、司法の専門家よりも素人である依頼人の方がよほど真実に迫っているという事実である。自身に襲いかかっている災害の実態を知りたいという真摯な思いが、専門家よりもはるかに鋭い注意力や判断力を形成しているのである。このことは、特に裁判の鍵を握っている裁判官にこそ理解してもらいたいと思う。

この母親は、知的な職業についている方であるが、つぎのようなコメント を寄せている。

私の場合は、中学生の娘に届いた数十の脅迫状がそもそもの始まりでした。娘を守ってあげたいと思う半面、母親の情にとらわれ理性を失って人を誹謗してはならない、何とか真実を確かめたいと思いました。
そこで、脅迫文の文字をコピーして「ひらがな」「漢字」「アラビア数字」「マーク」と分けて1つも残さずに1文字1文字切り抜いて紙に貼り付けてみました。対照資料も同様の作業でシートにして比べてみました。そのA4のシートは20枚にもなりました。 何とか娘の苦しさを取り除いてあげたいと願うのただの母親ですから、こうして調べることが精一杯でしたが、それでも一つの結論に達しておりました。それは、脅迫文も対照の資料もどうみても同一人の筆跡に違いないという確信です。脅迫文のシートと対照資料のシートは、どちらがどちらか間違えてしまうほどに同一だったのです。
裁判所が指定したX鑑定人の鑑定書が出来た時、それは私の結論とは正反対の物でした。私には、X鑑定人の結論はいうまでもなく結論に至る経緯もまた疑問に感じるものでした。
まず最初に文字の選択の仕方です。
すべての文字を切り貼りした経験を持つ者から見ると、「なぜ、この文字を選んだのか?」と思うほどに、極端に字形の異なる文字同士を選択し、鑑定の材料にしてように見えました。
同じ『あ』の文字でも、鑑定資料は丁寧に書いた文字を選び、対照資料のほうは書き損じかと思われるような乱れた字を選んでいました。他の文字ではその逆もありましたが、全てその方法で異筆としていました。

このような鑑定が通るのであれば、同じ資料から正反対の二つの結果の鑑定書の作成が可能であると思いました。だからこそ筆跡鑑定がツールとして定着しがたく、犯罪捜査や不正の防止に力を発揮されるまでに信頼されるようになるには、まだ遠いと思わざるを得ませんでした。
このX鑑定人の鑑定とは、後輩から神様のように思われ警察の現役鑑定人の手本となっているものだけに、世界一の検挙率を誇る警察庁の実績を台無しにしてしまうのが、こういう方なのだろうと残念に思いました。 少なくとも、根本鑑定のように、取り上げる資料は、鑑定・対照資料ともに、最初から順番に同じ字数と決めて取り上げる、あるいは、平均的な文字同士をサンプリングするという方法でなければ、統計学とも科学とも言えないと思いました。 たまたま、横画が長いとか短いなどが本質的な相違点にはならない事は、素人なりに理解しておりましたし、むしろ斜めに書く角度のほうが特徴が出やすく重要だと思っていたのですが、そんな記述は皆無で終始一貫して長いか短いで論じていたのも覚えています。
まるで、2枚の透明なセロファン紙に書いた文字を重ねて『同じ!』『違う!』と言っているような内容で、印章の鑑定と筆跡鑑定の違いとは何なのだろうと思いました。
X鑑定人の鑑定では、同じ書き手である鑑定資料の文字同士を見ても『異筆』と判断できるのではないかと考え込み悩みました。

鑑定書の書き方も、根本先生は、例えば脅迫状はA資料又は鑑定資料と表現し、日記や年賀状などの対照資料はB資料としていましたが、X氏はそれぞれを、対象資料も対照資料も同じ『タイショウシリョウ』と呼ぶ事で、裁判進行の複雑化、もっと言えば撹乱の目的があったと誤解されても仕方ないものでした。

証人尋問でも弁護士さんから指摘され、裁判所からも呼び方の訂正をされたにもかかわらず、『私は前からこうしているが』と、言い換えたものの AとBを言い間違えたり、タイショウシリョウと言ってみたり、最後には『私は耳が遠いので……』とごまかして、証人尋問を終了しました。

その後、裁判はこちらの勝訴的和解で終了しましたので、悔し紛れの中傷をしているのではなく、ただただ、その時感じた筆跡鑑定の奥の深さと鑑定人のレベルの差の大きさを記しておきたかったのです。

根本先生の鑑定は、自分でつくったシートを眺めて、漠然と感じていたものを明快な形で目の前に誕生させてくれました。また、鑑定資料と対照資料の他に、もう一つ手本となる書道手本を存在させることで、より公正で理解しやすい鑑定書になっているのだと思います。

私は、これこそが鑑定書であり、これを鑑定書と呼ぶのなら、X鑑定人の作ったものは何と呼ぶものかと痛感したものでした。根本先生の鑑定書は、裁判での勝ち負けをこえて、私の正しさを証明してくれました。それは悩んでいた私には本当に救いとなったのです。

 鑑定人は真実を追及することが社会的使命である

今回のテーマは、特に当事者の意見は、私の宣伝のように誤解されるかもしれない。しかし、私が何故、このようなテーマをまとめたのかといえば、鑑定界の問題を解決していきたいという思いと同時に、己の鑑定業務が雑にならないようにしなければという自戒のためでもある。

警察OBの鑑定への批判も、自分は決してこのような仕事をしてはならないという鏡の役割にもなる。

裁判沙汰になり鑑定書を求める人たちの多くは、身に降りかかる困難から逃れようと極めて鋭い嗅覚を発揮する。鑑定人が作為を持って鑑定書を作れば、すぐに見破ってしまうのである。これは裁判の誤審についても同様だ。

世の中は広いと髙をくくっていてはいけない。真実で優れた技能の鑑定に邁進することこそが、鑑定人の社会的使命である。

★筆跡鑑定の問題を特集した東京新聞があります。ご希望の方にお送り(無料)しますので、ご一報ください。
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