◎ここでは、筆跡心理学の世界的な流れを説明しております。5分程度の読み物です。
世界における筆跡心理学の位置づけ
筆跡心理学は、世界的には「グラフォロジー(Graphology)」と呼ばれています。その中心テーマは筆跡から書き手の性格を分析することです。ヨーロッパでは非常に発展していて、パリには「フランス・グラフォロジー協会」があり、ヨーロッパのグラフォロジーの総本山のように位置づけられています。
ヨーロッパの中でも、フランス、ドイツ、イタリーなどは特に盛んで国際学会なども頻繁に開かれているようです。中でもフランスは、「グラフォルグ(筆跡診断士)」は、第1種はフランス・グラフォロジー協会が認定しますが、第2種は、弁護士などと同じく国の認定する国家資格になっています。
「フランス・グラフォロジー協会」のこれまでの役員には、アンドレ・ジード、アルバート・シュバイツァー、アンドレ・モーロア等、ノーベル賞受賞者や第1級の知識人が目白押しということでわかるように、非常に権威ある団体です。
アングロサクソン系の国々ではやや不熱心
アメリカやイギリスなどアングロサクソン系の国々では、仏・独などに比べると筆跡心理学にはやや冷淡のようです。しかし、それでもわが国ほどではなく、アメリカなどは最近は結構活発化しているとも聞いています。
アメリカは、筆跡心理学の中でも、神経症や精神病と筆跡の関係を研究する「医学的グラフォロジー」に熱心だと聞いています。たとえば、神経症の患者に対して、歴代の大統領のサインを臨書させるという治療法が行われているそうです。
筆跡とは不思議なもので、私も経験がありますが、優れた人の筆跡を模倣すると、何か、その人のパワーやスピリットのようなものを感じることがあります。大統領の署名の臨書からは、そのような効果が得られるのかもしれません。その意味で、わが国の書道などは人格形成に大切なものだと思います。
だいぶ古い話になりますが、私は日本能率協会で講師をしていたことがあります。そのころ聞いた話です。日本能率協会がわが国の代表的な企業の人事責任者を引き連れて、欧米の社会人研修事情を視察に行っていました。
イギリスに行った時の話です。双方から10人程度出席して意見交換会を行ったときのこと。彼らの一人がこういったそうです。「わが国は、筆跡心理学には冷淡で活用している企業は5パーセント程度であるが、大陸(仏、独など)は、熱心で企業の8割程度は活用している」
日本能率協会の担当者もビックリ
日本能率協会の担当者も大手会社の社員も「筆跡心理学」など聞いたこともなかったので、「それは筆跡と性格の関係の学問か?」と、目を白黒させて質問したそうです。これは、私がその分野に携わっていることを知っている日本能率協会の職員が私に教えてくれた話です。
フランスでは、企業の8割程度は人事面で何らかの形でグラフォルグを活用しているようです。また、大学には必ずグラフォルグがいて、学生の進路指導などに当たっています。民間でも子供の将来性などについて、グラフォルグのアドバイスを受けることはごく普通のことのようです。
私は、08年12月に、アルマーニ・ジャパンのクリスマスパーティで、筆跡診断をする機会がありました。そこでアルマーニ・ジャパンの社長(日本人)の筆跡を診断しました。そのとき伺った話ですが、ミラノの本社では、社員の採用に当たっては、最後には必ず「グラフォルグ」に診断をしてもらい、その報告書(A42枚程度)によって採否を決めるそうです。これは、フランスの実情とほぼ同じ状況のようです。
図1 「フランスのグラフォロジーの本」
欧米の筆跡心理学の歴史
筆跡と性格の関係については、ローマ時代にはすでに研究されていたと いう記録がありますが、欧米における筆跡と性格の研究は、1622年にイタリア人・カミール・バルディ(Camillo Baldi)の『手紙によって書き手の素行や性格を知る方法』が最初と言われています。
バルディは、ボロニア大学の教授であり有名な学者でした。彼は、全ての人は独自の書き方をしていて、他人が真に真似をすることはできないこと、繰り返し表れる特徴に注意するべきことなどを指摘しています。 その後、ゲーテ、バルザック、ジョルジュ・サンドなどの一流の作家が興味を持ち何らかの研究をしたと伝えられています。
日本では、筆跡…「文字」は、その美しさや芸術性という方向への関心が強いのです。これは、文字が大陸から伝来した文化の一環として非常に尊重されたこと、日本人独特の感性の高さなどから生じたようで、中国などとも異なるわが国独特のもののようです。そのような側面もあり、わが国では、文字についての心理的なアプローチや分析は、あまり発展しなかったようです。
欧米では、文字は実用的な価値を重視しているようで、カリグラフィーなど装飾的なものも少しはありますが、それよりは書き手の性格の分析など、心理学的な方向への関心が強いようです。
ゲーテも筆跡心理学を研究?
ゲーテは1820年の手紙のなかでつぎのように書いています。
「人間の筆跡がその人の感覚の状態や性格に関係を持つということ、そしてそこから、少なくとも『その人の生存し行動するやり方のある予感』を感ずることは疑いありません。それはちょうど、人の外観と特徴のみならず、表情、音声、はては身体運動も重要なものとして、また全個性と一致するものとして認識せざるを得ないことと同様なことです。しかし、人はこれについて細々と語るでしょう。が、このことを特定の方法的連関において果たすことは何人もまず成功しまい」(『書の心理』黒田正典)
このように述べて、筆跡は書き手の性格と密接な繋がりを持っているといっています。「その人の生存し行動するやり方のある予感」というのは難しい表現ですが「予感」を「予測」と読みかえると、「筆跡の特徴から書き手の将来がある程度予測できる」ということでしょう。これは、いまや、私たち筆跡アドバイザーが行っている「筆跡診断」そのものといえます。
ただ、ゲーテは、筆跡から性格を見抜く方法の確立は成功しないのではないかと考えていたようです。さすがのゲーテも、その後のグラフォロジーの発達はまでは予測できなかったものと思われます。
ミションの研究『グラフォロジーの実践』
その後、「グラフォロジー」(筆跡心理学)として正規に認知されたのは、フランス人のミション神父(Michon)が1878年に『グラフォロジーの実践』を著したときとされています。
ミションは、「グラフォロジーの父」と呼ばれていますが、異常な観察力、記憶力に恵まれ、生まれながらの経験主義者というべきで、理論に囚われず、筆跡を集め観察し、確かめ、整理して記録しました。
彼のグラフォロジーは、「符号理論」と呼ばれます。筆跡に表れる特定の符号(Signe)は、性格における特定の性質と対応するものである、つまり、筆跡に特定の符号があれば、それに対応する特定の性格があると考えたのです。
グラフォロジーに関してミションに次いで著名な貢献者はクレピュー・ジャマン(Crepieux-Jamin)です。彼は、ミションの弟子であり、英国に大きな影響を与えた筆跡学者です。
クレピュー・ジャマンは、「筆跡には人の行動の図形的な固定がある」と考えました。これは現在のわれわれの「筆跡とは行動の痕跡である」という考え方と同じです。
彼の重要な理論は「合成体の理論」(Theory of rusultants)と呼ばれています。たとえば筆跡に「利己主義」、「強い感情性」、「活動性」が見出されたとすれば、それに基づいて「不公平」という性質が推定されるとします。つまり、前者の特性群を第1次性質として、後者の第2次性質を導く出すことができるという考え方です。この考え方も、今やわれわれの診断の常識的な方法になっている。
図2 これはナポレオンの筆跡をした診断フランスの例です。
フランス・グラフォロジーの1例
フランスの筆跡心理学(グラフォロジー)は、日本に比べると、やや大づかみに心理を捉える傾向があるようです。つぎは、ナポレオン一世の書簡について診断している一例です。
王座のナポレオン
アルプス越えのナポレオン
「大きな字。精神病とまでは言わないが、かなりの異常性が見られる。今まで私が見てきた中で、最も興奮して荒れた書体である。暴力的で急いでいる。これは皇帝としての習慣的な苛立ち、常に辛抱している状態を表している。その苛立ちが羽を踊らしており、不調和で読みにくさの原因と思われる。文字はつながり、大きさも均等でなく、そこからは、並々ならぬナポレオンの行動力と才気が読み取れる」
わが国における筆跡心理学の夜明け
われわれが知る限り、わが国における筆跡心理学の最初の著作物は、昭和39年に発刊された『書の心理』(誠心書房)です。当時、新潟大学教育学部の黒田正典教授(1916年生まれ。現/東北福祉大学教授)が著したものです。
黒田先生は、同著の中で「筆跡心理学」という用語を使用しています。外国の筆跡心理学の紹介と、ご自身も毛筆の筆圧測定など独自の研究を行い、東北大の教授連との交流があり協力も得ている様子です。
『書の心理』のまえがきにつぎのように書いています。 (前略)「わが国の筆跡心理学は、これから広大な未知の地帯に向う探検に似ている。本書では計量的、実験的方法と内観的、了解的方法の両方が重視された。前者は実証的であり、後者は直感的であるといえる。よく誤解されるように、直感的なものは実証的なものによって克服されねばならないような認識論的に価値低いものであるとは考えるべきではない。正しい認識のためにそれぞれの役割を持っていると考えるべきである」(中略)
「本書では、あるものにおいては、実証的なものをして直感的なものの妥当性を検討させている。他のものにおいては、重要なものは直感的なものであり、実証的なものは直感的なものを統制する補助手段となる。また、さしあたり実証的なものが無力な対象については、直感的な見通しの獲得が求められている。直感的なものが見通しを与え、実証的なものがその見通しを確かめるといわねばならぬ」(後略)。
……と、筆跡心理学の研究においては、「直感・推論」的なものと、「実証」的なものの双方にそれぞれの役割があり、大切であると述べられています。
直感的理論と実証の役割
これは、われわれ・日本筆跡心理学協会の追及する筆跡心理学の方向に大切な示唆を与えてくれます。わが国では、とかく、目に見えないものや実証されないものは学問でないとする偏向があり、たとえば「心理学」などもその不当な扱いに長年甘んじてきた歴史があります。
しかし、たとえばノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士が、「理論物理学」で中間子理論を発見し、その後10年以上後に「実験物理学」で証明されたように、理論や仮説による発見に意味がないわけではありません。理論は実験による制約がない分、進化のスピードが速いという特徴があるからです。
これが、医薬品のような分野ならば、理論だけで進めることは問題があるでしょう。しかし、人間の精神や性格などを、実験で証明されたものだけに限定するならば、その歩みはあまりに遅いと言わねばなりません。その結果、人間社会の発展にブレーキがかけられてしまいます。これは、われわれの筆跡心理学にもそのまま当てはまることだと痛感しています。
慶応義塾大学・槇田仁名誉教授の研究
平成4年には慶応義塾大学の槇田仁先生(1926年生まれ)が、『筆跡性格学入門』(金子書房)を著しています。これは、名称が少し異なっていますが、本質的には筆跡心理学の分野と理解してよいと思います。
われわれの知る限り、槙田先生の研究は、ユングやクレッチマーなどの「類型論」的なアプローチに近いように思います。ひらがなによる研究なども行っていて、東北福祉大学の黒田正典先生とも交流があるご様子です。
民間の研究家・森岡恒舟
森岡先生(1933年生まれ)は、私が直接教えを受けた先生です。森岡先生は、東京大学・心理学科を卒業され、書道教室を主宰する一方で、昭和55年頃より独自に筆跡心理学の研究を開始されています。
昭和58年には『筆相診断』(光文社)を著されました。森岡方式は、「理論」と「実証」の中間的な「仮説検証法」ともいうべき方法で、筆跡と性格の関係を掘り下げています。「仮説検証法」とは私の命名です。
これは、具体的には、ある筆跡特徴がどのような性格の反映なのかと仮説を立て、それを数多くの人に当てはめて検証します。そして、一定の確率で検証できたものを「定説」として発表するという方法です。つまり、最初は推論からスタートし、多くの人に当てはめて検証するという実証的な方法をとっております。
なぜ筆跡から性格がわかるのか
「なぜ筆跡から書き手の性格や深層心理などがわかるのか」ということですが、これまでに「筆跡とは行動の痕跡である」とお話ししたことが要点です。皆さんは、他人の性格をどのようにして理解しているでしょうか。
普通は、その人の行動を見て理解するわけです。たとえば、何かの集まりがあったとして、定刻前に到着し責任者にきちんと挨拶をしている人を見れば「真面目な人だな」と理解します。
このような真面目な人は、次の3通りの「口」の字のどれを書くでしょうか。……Aの書き方をすることが多いのです。ルール通りきちんと真面目に書いています。Bは柔軟で融通性のある人の筆跡、Cの人は、自由奔放といってもよい性格の人です。このように、人の行動と筆跡はいずれも同じ「脳」によってコントロールされていますから、同じパターンを示すのです。図3 真面目な人の筆跡はどれ
筆跡心理学の通信教育
このようなルールを、私たちは70パターンほど「定説」としています。それを筆跡心理学の学習で教えていくわけです。そして、その理解した人間像を文章にして表すという能力を身につけていただくのです。
私どもの日本筆跡心理学協会や森岡先生の主宰する日本筆跡診断士協会で教えている「筆跡心理学」のコースは、このような学習です。よく、どのように違うのかという質問を受けますが、本質的に全く同じものです。
同じ教育が二か所で行われていることに戸惑われるかも知れませんが、しいて違いをあげれば、日本筆跡診断士協会は「通学コース」に力を入れているのに対して、私どもの方の日本筆跡心理学協会は「通信教育」に注力しているという点でしょうか。私どもは、筆跡心理学は文字の心理的解読や人間像を文字で表現することなので、通信教育に適していると考えています。
われわれの方式の優れた点
以上のようなわけで、私たちが教育している筆跡心理学は、言い方を変えれば「特徴対比法」ということもできます。これは、個々の筆跡特徴と個々の性格を対応させて読み解く方式のため、非常に分かりやすく、一定のノウハウをマスターすれば、比較的素早く実際の診断が可能になります。
私どもは、フランス・グラフォロジーも少しは勉強しましたが、彼らの方式は、もう少し感覚的な側面が強いようで、われわれの方式に比べると、同じレベルの診断をするためには、3倍くらい時間をかけなければマスターできないように感じています。
逆に言えばわれわれの「特徴対比法」は、彼らの方法より3倍早くマスターすることの出来る優れた方式だと信じています。ぜひ多くの方に学んでいただき、人間理解力を深めていただきたいと考えています。人間を理解する能力こそ人として究極の能力ではないかと思います。
以上