筆順は鑑定人の強い味方

筆跡鑑定人ブログ-41

筆跡鑑定人 根本 寛
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遺言書の偽造は多くない。

筆跡鑑定では遺言書の鑑定が多い。ざっと総数の4~5割を占める。鑑定対象はほとんど「自筆遺言書」(全文自分で書いたもの)である。その他は、各種の契約書、借用書、領収書、嫌がらせの文書などが主なものである。

当然だが、遺言書の鑑定では偽造ではないかというものと、本物であることを証明してくれという二通りがある。偽造を疑う依頼が少なくないが、案に相違して偽造は少ないものである。少なくとも長文の遺言書ではめったにない。まれにあるものは「全財産を長男○○に譲る」といった短文のものが多い。

また、遺言者が高齢で書字行動が不自由になったケースに見られる。つまり乱れの強い文字である。それはそうだろう。偽造する者の立場にたてば、便箋一枚にも渡って、健常な他人の筆跡を模倣するのは容易ではない。

つまり、偽造遺言書の多くは、似せて書いていて、短文で、かつ乱れの強い文字だから鑑定も容易ではない。偽造者と鑑定人の知恵比べの様相を呈してくる。幸い、ほとんどの偽造者がアマチュアだから、プロの鑑定人を騙し切れることはほとんどないと言えるのである。

一澤帆布の遺言書が偽造とされたわけ

今回は、そんな、珍しい遺言書の偽造を取り上げよう。これは、8文字ほど鑑定したところで「偽造の可能性が極めて高いが、断定することは躊躇される」という状況の中で筆順が決め手になったケースである。

筆順は、筆跡鑑定の強い味方と言える。一般に、一定の筆順で書く割合は90パーセント以上とされる調査データもある。有名な一澤帆布の遺言書事件でも、逆転判決の決め手は「布」の字の筆順だった。

一澤帆布の場合は「布」字の第1画を「ノ」から始めるのか、「一」から始めるのかの違いが決め手になった。遺言者の父親は、正しい筆順で「ノ」から始めていたが、偽造とされた文書は「一」から始めていた。これは、連綿線(続け字に表れる筆脈の線)により明確であった。

断定するには決定打が見つからないケース

さて今回のケースである。最初に「市」字を示す。図のように、この文字では、遺言書の鑑定資料Aは崩しの強い行書体、一方の対照資料は楷書傾向で異同の識別は容易ではない。

一応、3箇所の違いを指摘したが、この程度の違いは、個人内変動でもあり得るので異筆を強く証明できるものではない。この文字では、たまたま横線の右上がりの程度が異なるが、ここまでの他の文字ではほぼ類似していた。

つまり、既に鑑定していた7文字もその異同の状況は大同小異で、違いはあるものの異筆と断定するには決め手を欠く状況だったのである。

ようやく見つかった起死回生の筆順

しかし、つぎに掲げた「町」字を見てほしい。字形は模倣しているのだから当然似ている。指摘した3箇所中2箇所は一致といわざるを得ない。問題は「田」の字の内部の筆順だ。対照資料は最初に横画を書き、次に縦画、最後に横画という筆順である。つまり「横・縦・横」の筆順。これは、横画からの連綿線を見れば明白である。

一方、鑑定資料のほうは、まず縦画を書き、そこから横画へ続けている。「縦・横・横」の筆順であることは明白である。これは強い味方が現れた。しかし、2資料ともに1文字しかないから、たまたまの混乱だろうと反論される恐れがある。確かにあまり文字を書かない人には。まれに筆順の混乱もないわけではない。

そこで、ほかに「田」の文字がないか真剣に探した。あった!!。それが、3番の筆跡である。さあ、これはどうだ。 嬉しいことに両資料ともに「町」字と同じ筆順である。しかも、鑑定資料は、「町」字よりもさらに明確にその筆順が現れている。

ということで、この「町・田」以外の8文字の結論の「別人の筆跡の可能性が極めて高い」と合わせれば、「別人である」との結論に持ち込んでも無理ではない。ということで、今回は納得が得られるだけの結論に達してほっと一息ということになった。

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