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筆跡鑑定人ブログ-51
- 筆跡鑑定人 根本 寛
- このコーナーに書くのは、事実に基づく、筆跡鑑定人の「独り言」のようなものです。お気軽にお付き合いいただければ幸いです。ただし、プライバシー保護のため固有名詞は原則的に仮名にし、内容によってはシチエーションも、特定できないよう最小限の調整をしている場合もあることをご了解ください。
刑事事件で参考人として検事と話し合いをした
私の作成したある鑑定書はたまたま刑事事件に関係したものだった。それは、ある家族の間で発生した怪文書の鑑定である。その私の鑑定書と科捜研の鑑定にズレがあるので、話を聞きたいと言われ某地検の検事と面談してきた。参考人として呼ばれたわけだ。検事は50歳ぐらい、押し出しもありそれなりの経験者らしい雰囲気だった。
私としては、珍しい経験で色々と面白い発見があった。また、日頃、警察の鑑定に抱いていた疑問についてもかなり判明したように思う。結論から言えば、この検事は、筆跡鑑定について初歩的な理解しか無いということが分かった。また、われわれ民間の鑑定人をどの様に考えているのかも分かった。
最初に私の鑑定について、一応の説明を求めてきた。本筋は鑑定書を読めば分かる筈だが、説明を求めたのは、こちらの対応から私の人物や鑑定書の信憑性を確かめようとしたのだろう。その折のやりとりから、私の鑑定書をよく理解していないことがわかった。
レベルの低い検事の質問
つぎに、検事は2、3質問をしてきた。まず、私の鑑定実績である。つぎに「容疑者は、あなたを攻撃するようなことを言っていますが、どうされますか」と聞いてきた。この質問には一瞬戸惑った。戸惑ったというのは、検事からそんな話を聞くとは思っていなかったからだ。
二つの理由が想定された。一つは、検事は事件にしたくない、だから私が恐れて鑑定書を撤回するのを望んでいるようだなということである。二つ目は、「鑑定人を攻撃する」とはどのようなことか。名誉棄損で訴えるとでもいうのか……検事ともあろうものが、そんな初歩的な脅しが通用するとでも思っているのかということ……これには顔には出さないようにしたが笑ってしまった。
初対面でもあり、推測で無礼な返答になってもいけないと思い「それは仕方ありませんな、プロの鑑定人として対応しますよ」とのみ応えた。しかし、今になって考えてみると、このような相手を惑わす言い方は、容疑者と対決している検事として身についた職業的なものだろうと思っている。
つぎに、微妙な言い回しで「逆の立場の依頼者にはどうするのですか」と聞いてきた。要するに鑑定依頼者の要求と鑑定結果が齟齬した場合はどうするのかと言うことらしい。私が、その場合は事前調査で依頼を断ります、おおよそ相談者の3割程度は断っていますと答えると、かなり驚いた顔をしてしばらく黙ってしまった。
民間の鑑定人への誤解
この驚きの理由として二つ考えられる。一つは民間の鑑定人は、依頼者の求めるままの鑑定書を書くのだろうとの、思い込みが外れたことだろう。もう一つは、私が常々疑問に思っていること、つまり、「警察の鑑定は始めに結論ありきで、鑑定はその裏付けを固めるだけだ」との立場からの驚きではないかということだ。つまり、警察の鑑定は初めに結論ありきで、公正な鑑定ではなく強引に結論と合致させてしまう、その体質から違う世界を見た驚きではないかということだ。もっとも後者は、時々マスコミでも報道されるが、私の推測でしかないが……。
私から質問した。まず、科捜研で本当に鑑定をしたのかということ。これは明確にやっているとの返答。つぎに、私は容疑者を犯人と断定しているが、科捜研の結論はどうなのかと聞いた。これは、多少曖昧な言い方だったが、「その疑問はある」という程度だとの返答である。
このあたりで、検察と私の立場や意見は明白になった。そして、それぞれ自己の立場を堅持していて、歩み寄りの余地はないことも分かった。したがってつぎは、いい機会だから少し警察の鑑定方針を聞いてみた。
ナンセンスな科捜研の鑑定
つまり、今回の事件は、自分の筆跡個性を隠そうとする「韜晦筆跡」だけど、科捜研はどのようにやり方で判断するのかと聞いた。回答は、二つの資料の一致点と不一致点を比較考量として判断するという答えであった。 この回答で、この検事は鑑定の実際を知らないということがわかった。もっともこの検事に限らず、確かに科捜研の鑑定方法はその通りだろうとも思う。私が常々、警察の鑑定能力は低いとするのはこの辺も一つの理由である。
私は、つぎのように説明した。「それはナンセンスだ。韜晦筆跡は、自分の筆跡を隠そうと書くのだから、類似していないのは当たり前だ、そんなところにかかずり合っていてはラチがあかない。そうではなく、類似した箇所を探して、その類似は別人の偶然の一致か、本人でしか書き得ないような筆跡個性の類似なのかと精査することが要点だ」
警察も検察も本気で取り組め
そんなわけで、面談の中身は私の予測した通り、責任逃れのような科捜研の鑑定と、犯人と断定した私の鑑定書の違いについてである。私は、その怪文書の書き手を5千人に1人程度に絞り込めたので同一人と断定したと説明した。
ここで検事は得たりとばかり、力を込めて主張した。つまり、刑事事件としては5千人に1人程度の絞り込みでは立証したことにはならないという。「億」や「京(けい)」の比率の世界だというのだ。
もちろん、繁華街の暗闇の路上で誰かに殺されたとすれば、数千万人に1人程度まで絞り込まなければ、犯人として立証したことにはならないだろう。しかし、この事件は家族間の事件である。怪文書の犯人として可能性がある人間はせいぜい20人程度しかいない。このケースで5千人に1人に絞り込んで不足というのは、慎重というよりは警察と検察のやる気のなさとしか理解できない。
今回の鑑定は偽造筆跡である。韜晦文字の鑑定は、前述したように、一致・不一致の数を数えるなどというやり方はナンセンスだ。隠そうとしても露呈してしまう類似点を探して、その類似点を精査することがポイントになる。
私は、その角度から自信をもって鑑定している。それを、技術の低い科捜研の鑑定を盾にうやむやにしようとする地検の行動は情けない。このような行動様式は、知っていたつもりだが国民の一人として不快極りないのである。
加害者の人権に留意するのは結構だが、被害者の苦しみはどうするのか。片手落ちでは被害者が浮かばれない。悪を許さないという正義感のない者に検察官などはやってもらいたくないのである。
追伸 (2011-3-31)
法務省の「検察の在り方検討会議」が2011年3月31日に答申を出した。冒頭つぎのように提言されている。私の言い分と共通するところが多い。
「検察の使命・役割は、容疑者・被告の十分な権利保障と、証拠に基づく真相解明という二本の柱で支えられている。二本の柱が太く、強く打ちたてられ、バランスを保ってこそ冤罪を防ぎ、真犯人の適切な処罰が実現できる。
(中略)
検察官は、捜査段階では容疑者に有利か不利かを問わず、真実発見のため証拠を広く集め、容疑者の弁解にも十分に耳を傾けるべきである。(後略)
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