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筆跡鑑定人ブログ52-
- 筆跡鑑定人 根本 寛
- このコーナーに書くのは、事実に基づく、筆跡鑑定人の「独り言」のようなものです。お気軽にお付き合いいただければ幸いです。ただし、プライバシー保護のため固有名詞は原則的に仮名にし、内容によってはシチエーションも、特定できないよう最小限の調整をしている場合もあることをご了解ください。
元科捜研の鑑定が破れて逆転判決
京都の人気のカバンメーカー「一澤帆布」の遺言書問題が決着して2年ほど経過した。しかし、調べてみるとこの事件を筆跡鑑定の立場からしっかり説明したものはないことがわかった。そこで、改めてポイントを整理して説明しておこうと思う。
一澤帆布遺言書事件とは
一澤帆布は、先代会長・一澤信夫氏が残したとされる二通の遺言書をめぐって兄弟で経営権を争ったもの。一通目の遺言書は、一緒に会社を経営していた三男の信三郎氏とその妻に経営を譲るとなっていた。しかし、その後、長男の信太郎が二通目の遺言書を提示した。二通目の遺言書は長男に経営権を譲るとなっていた。その遺言書のほうが日付けが新しいので、争いがなければその二通目の遺言書が認められる筈であった。しかし、三男・信三郎氏から異議が出て裁判になった。最初の裁判では、二通目の遺言書が認められ長男が経営権を継承した。
その後、同じ会社役員であった信三郎氏の奥さんが裁判を提起し、これが逆転判決となり、最高裁でも確定し決着を見たものである。判決では、裁判官は、被告側の鑑定を担当した元警察官三人の鑑定書について、意図的に不利な文字を隠蔽するなどのこともあったと断じた。
「喜」字の字形の違い
この事件の鑑定書のポイントは大きくは二点ある。一つは字形の違いである。二通の遺言書にはそれぞれに四男「喜久夫」の文字があるのだが、その字形がつぎのように異なるのである。
つまり、上部の「士」字の部分、一通目の遺言書ではこれが「土」となっていた。対して、二通目の遺言書では、ここが「士」となっていた。つまり二本の横画の長短が逆なのである。
この「士」字は、「吉田」や「吉日」などでも同様のことがあり、鑑定書で争われることも少なくない。そして、ほとんどの人はどちらか一方の書き方をし、両方を書くという人はめったにいないので、二通の遺言書は別人の筆跡ということになる。
一般的には「士」が正しいとされている。その意味で「京大」から「三菱銀行」に進んだ長男なら「士」と書くだろうと推定される。この場合、偽造を疑われた長男の手帳や日記など、多くの資料を調べることができればこの検証はさらに明確になっただろう。
一方、父親もなかなかの知識人である。その人が多くは書かない「土」と書いたとしたら何故なのだろう。これは、一部の知識人は文字の美しさを優先して「土」と書く人がいること、銀行マンの長男と異なり自分の美意識を押し出すことができる中小企業のトップであることなどから、この書き方も不思議とは言えないと考えられる。
もっとも、父親の筆跡は、原告側に取ってはもっと探すことが出来るのではないかと思われるから、手紙や日記など、もっと広く探索するのも一方法ではなかったかと思われる。いずれにしても、この字形の違いが第一の要点であった。
筆順は筆跡鑑定の強い味方
第二のポイントは「一澤帆布」の「布」字の筆順の違いであった。第一の遺言書は「ノ」を第一画として書いていた。これは正しい筆順である。一方、第二の遺言書は「一」を第一画として書いている。これは決定的な違いである。
筆順は、一定のパターンで書く率が高く、ある調査では、成人が一定のパターンで書く確率は90パーセント以上との結果もある。まして、「布」字は、一澤帆布の「布」字であり、創業者の会長としてはおそらく数千回も書いていたと思われる。
高齢で文筆家でもあった会長が、自社の社名の文字を誤った筆順で書くということは考えられない。このような、原告側の主張が認められたのである。これは、極めて当然のことで決定的なポイントといえるだろう。以上の2点が逆転判決の要点になったのである。
「長」字の私の経験
私も似たようなケースがあった。それは刑事事件であったが、「長崎」の「長」の字であった。書き手不明の鑑定文字は「横画」を第一画として書いていた。対する容疑者の筆順は「縦画」が第一画になっているのである。
この場合、鑑定文字の書き方だと横画が縦画の上に蓋をしたような字形になる。しかし、容疑者の場合は横画の上に縦画が突出するのである。これが決め手の一つになって無罪が明確になった。
このように、筆跡鑑定において筆順は強い判断要素である。鑑定人は常にこの角度からの検証を忘れてはならない。それと、この裁判で判明した警察OBの鑑定人の行動様式、つまり「自説に不利な資料は隠してしまう」という体質は是非とも改めて頂きたいと思う。
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