運を開く遠藤周作の筆跡

筆跡鑑定人ブログ-63

筆跡鑑定人 根本 寛
 このコーナーに書くのは、事実に基づく、筆跡鑑定人の「独り言」のようなものです。お気軽にお付き合いいただければ幸いです。ただし、プライバシー保護のため固有名詞は原則的に仮名にし、内容によってはシチエーションも、特定できないよう最小限の調整をしている場合もあることをご了解ください。

 

高校生のころは、エディプスコンプレックスに陥っていた

今回は、作家・遠藤周作氏の筆跡を探訪してみよう。遠藤周作氏は1923年の生まれ1996年没、享年73歳であった。

両親ともに立派な家柄で、父・常久は、安田財閥系列の安田工業の社長を務めた実業家である。遠藤周作氏の少年期は、この父や音楽家の母、そして優秀な兄と比べて強いコンプレックスを抱いていたようだ。特に父にはエディプスコンプレックスがあったらしい。

中・高のころは、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」、いわゆる弥次喜多ものに熱中したりしてあまり勉強しなかったらしい。そのため、高校も大学も志望校に入れず、一時は父から勘当をうけたこともあった。

しかし、フランス・リヨン大学の留学から戻った後は、まず評論家として認められ、その後小説家としても認められた。氏はカトリックの洗礼を受けており、キリスト教をテーマにした「沈黙」や「深い河」などは、ノーベル賞候補にもなり世界的に有名である。

私は有名な「狐狸庵先生」の愉快なエッセイの愛読者ではあるが、「沈黙」などの重いものは全然読んでいない。読者などとは言えたものではないが、筆跡心理学の観点から氏の心理に迫ってみたい。

「姓」と「名」に込められた深層心理

つぎが氏の署名である。非常な達筆で流麗といえるほどに滑らかに書かれている。第一印象として「遠藤」の文字が控えめなのに対して、「周作」は実に堂々としている。

姓は言うまでもなく血縁関係の一族であることを証明しているだから、社会とのつながりのパスポートのようなものともいえる。それに対して、名はあくまで、個人としての存在を証明する。

そのため、姓はどちらかというと伝統的な色彩が強く、名は個人を重視する個人主義的な色彩が強いようだ。

このような感覚は、誰しも無意識に持っているので、姓を記述するときと名を記述するときには、無意識に若干異なる心理が働くものと思われる。つまり、姓を記述するときよりも、名を記述するときにより強く自分というものを意識するようだということである。

この仮説に立てば、遠藤周作が無意識のうちに、「遠藤」と書くときよりも「周作」と書くときにより力が入り、強く自分を表現したいと考えたとしても不思議ではない。事実、氏の署名にはそんな印象がある。

姓の「遠藤」は、鮮やかな崩し字で、軽やかで涼しげである。ここには、文士としての繊細さと洒落っ気が感じられる。氏の多彩な活動の中でも、華やかで幅広い社交関係的な側面である。

一方、名前の「周作」の方は、爽やかさは残しつつも、横幅が広く書かれ力強さがある。横幅が広いということには、心理的に「広げる」という意味を持ち、それは「勢力を拡大したい」という心理と無縁ではない。

氏の著書からは「人の持つ弱さや哀れさに対する共感」を強く感じるが、それと同時にキリスト教と日本人といった重いテーマに挑む氏の強い精神力を感じさせられる。「周作」の字の幅の広さは、それと無縁ではないだろう。

深層心理にあるものはいつか現実になる

筆跡心理学の立場から見て何よりも素晴らしいのは、「周」の文字も「作」の文字も安定感のある末広がりに書かれていることである。これは、書道で「弘法型」と呼び、運を良くする書き方とされている。

反対に「門構え」や「周」・「岡」等の「けい構え」の裾が狭くなる不安定な形は「下狭型」と呼び運を悪くする書き方と解釈されている。このことは、このブログの58「開高健の筆跡を読む」に書いた。

字の形と運の関係であるが、要は、「人は何故そのような形に書くのか」ということにヒントがある。字形は深層心理に係わっている。それは、「人は自分の深層心理にフィットする形に書く」ということである。

つまり人の書く字形というものは、特に意識して身に着けたものを除くと、「縦長の字形」だろうと「横広の字形」だろうと「強いハネ」であろうと、それは自分の深層心理にフィットするからそのように書くのである。

だから、そこには、無意識のうちに書き手の深層心理が表れる。つまり、安定感のある字形を書く人は深層心理に安定を求める心があり、不安定な字形を書く人は深層心理に不安定を求める心があるということである。

本人にも意識されない深層心理にあるものは、いつかは現実のものとなる。たとえば、不安定なものを求める心というのは、安泰な現実に満足せず、「冒険を好む」「危険を好む」というような形になって表れる。

リスキーな場面に遭遇しても、若くて元気のいいときは難を逃れることができるが、体力・気力の衰えた中高年になると逃げきれずに落とし穴に落ちてしまうということになる。もし、企業のリーダーが不安定型の字を書いていたとしたら、その企業の将来は危険である。

だから、どのような字を書いているのかということは、非常に大切なことなのである。今まで、特に意識したことのなかった方は、ぜひ一度自分の筆跡を調べてみることをお勧めしたい。

運を開く素晴らしい字の形

さて、遠藤周作氏の「周作」の字形だが、今述べたような観点から見て、理にかなった素晴らしい形である。「周」の字も「作」の字も幅広く書かれ、且つ裾に向かって広がる弘法型の字形である。

さらに、「周」字は左右の画が離れて、非常に風通しが良く爽やかである。安定を求めいても、その執着を感じさせず松籟が聞こえてきそうな趣と風格がある。

そして、「作」の字、普通、偏と旁をこれほどに広くは書けないものである。ここに心の広さが表れている。頑固でなく、多くの人の知恵を受け入れる包容力に溢れた字形といえる。しかも、この文字も末広がりの安定感のある字形である。

遠藤周作氏は、あまり体は丈夫ではなかったようで、肺結核を何度が発症し、片方の肺は摘出している。それにも拘わらず、男性の平均寿命程度まで生きて、作家活動はもとより、幅広い交友関係や演劇やコーラスなどと幅広く人生を楽しんだらしい。

柿生の里の狐狸庵先生は、人生の達人でもあったようだ。それが筆跡からも読み取れる。お手本にしたいような筆跡である。

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