豊臣秀吉の大きな錯覚

筆跡鑑定人ブログ-64

筆跡鑑定人 根本 寛
 このコーナーに書くのは、事実に基づく、筆跡鑑定人の「独り言」のようなものです。お気軽にお付き合いいただければ幸いです。ただし、プライバシー保護のため固有名詞は原則的に仮名にし、内容によってはシチエーションも、特定できないよう最小限の調整をしている場合もあることをご了解ください。

 

深層心理との葛藤

BS日テレの『歴史プロファイル』で、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人の筆跡を分析した。その中で、特に秀吉について面白い発見があった。それは、「秀吉は大きな錯覚に陥っていて、結果として不幸な晩年であったらしい」ということである。

秀吉は、17歳頃から織田信長の家臣になり、それから28年ほど信長に仕えて出世街道を驀進した。様々な起伏はあったが、秀吉にとっては幸福な時代ではなかったかと思われる。

信長が本能寺の変により横死すると、秀吉は持ち前の才覚によってめきめきと頭角を現し、45歳ごろには天下統一を果たし、大阪城を築いた。そして、天下人として15年ほど栄華の時代を送り、その後病死している。この栄華の時代は、秀吉にとって幸せな時ではなかったのではないかということである。

「露と落ち、露と消えたる我が身かな、浪速のことは夢のまた夢」との辞世の句は、戦国時代を闘い抜いた信長とも共通するような感慨といえる。「浪速のこと」とは、絢爛豪華な大阪城での栄華の日々のことである。

信長は、横死したので本来の辞世の句は残していない。日頃から好んで謡いながら舞ったといわれる、幸若舞の「敦盛」の「人間50年、下天のうちを比ぶれば、夢まぼろしの如くなり。ひとたび生を得て、滅せぬ者のあるべきか」を辞世の句と読めば、よく似た人生観であったようだ。本能寺を急襲された時も、猛火の中でこの歌を歌いつつ49年の生涯を閉じたと伝えられている。

「おね」への手紙から深層心理を探る

秀吉は、低い身分から身を起こしたコンプレックスを克服しようとしためか、書や茶道、あるいは能などに精進したようだ。特に書は能筆をうたわれ、まめなこともあり、書簡の数は戦国武将一と言われた。

ここでは、名古屋から側室の「おね」(北政所)宛に送った手紙から秀吉の人間像を探索してみよう。この手紙では、戻ったら「ゆるゆる抱きやい候て、物語り申すべく候」と愛情たっぷりに書き送っている。つぎは、その手紙の一部である。

最初にAマークをつれけた「ろ」の字を見ていただきたい。「つ」の形の部分が大きく張り出して書かれている。これは、われわれ筆跡心理学の仲間では「大弧型」と呼び、強いエネルギーを示していると判断している。

実は秀吉は、この部分に限らず、何箇所もこの「ろ」の書き方をする。そこから、われわれは、これを「大弧型」をもじって「太閤型」とも呼んでいる。いうまでもなく「太閤秀吉」からとったわけだ。

この書き方は、参考のために隣に並べた「松下幸之助」の筆跡「C」にも表れている。松下幸之助は一代で世界企業・パナソニックを作り上げた超一流の創業者である。やはり並外れたパワーの持ち主である。

このような迫力のある書き方を、書道家などから教えられて書くようになった人もいるだろう。しかし、松下幸之助や秀吉のこのような形を書道家がアドバイスするとは考えにくい。やはり、自らの内面から迸るものによって生み出したに違いない。

秀吉は、低い身分から身を起こし、群雄割拠の戦国時代を勝ち抜いて天下統一を果たした。並外れた力量を持っていたことは疑いない。そのパワーが、筆跡心理学に言えば「ろ」の大弧型に表れていると思われる。

このパワーというのは、出世欲・権勢欲と呼ばれるような「勢力を拡大したい」という欲求といえる。「勢力を拡大したい」というと、政治家や事業家のものと受け取められそうだがそうではない。

例えば学者といえども、自説の支持者を増やしたいという欲求があることが多いわけだから、「勢力を拡大したい」というのは、人間の……少なくとも男の普遍的な欲求といってよいだろう。

権勢欲と協調型の狭間で心理的不統合に苦しむ

秀吉は、このエネルギニーがずば抜けて大きかったことは間違いない。そのエネルギーによって天下人になった。大変な出世であるが、問題は、それが秀吉に真の幸せをもたらしたのだろうかということである。

何故なら、「B」マークを付けた筆跡があるからである。「大」の文字と「ち」の文字の、横画の上に突出する縦画の長さが極めて短いのである。紙面の都合で二字のみ取り上げたが、同様の字形は他にも沢山ある。

この、突出の短いことを筆跡心理学の立場からは、「頭部突出控えめ型」と呼んでいる。この書き方をする人の性格は「協調型」と判断されている。

この突出が長いのはリーダー気質である。つまり「俺についてこい」と言いたいタイプといえる。協調型は逆に「リーダーについていく方がいい」と考えるタイプといえる。

もちろん、このようなことは、深層心理の働きなので、ほとんどの人は意識していない。しかし、深層心理にあるということは、常に具現化しようとする圧力がかかっている状態と考えられる。

逆に言えば、深層心理の求めるものと異なることを行おうとすれば、その行動は葛藤を生み、統合されずに本人を苦しめると考えられるのである。

天下のリーダーとなれば、強い権限を持つと同時に常に難しい判断を迫られる。つまり、重大な責任を果たさなくてはならないが、深層心理の本質は、それを心地よく実行できるリーダー気質ではない。これが、天下人となってからの秀吉の実態ではないかと思われるのである。

大げさに言えば一種の統合失調症のような状態ともいえる。これは、当人にとって幸せな状態とは言えないだろう。その結果、はっきりした理由がないのに、怒りっぽくなったり、悲しくなったりと、平常ではない心理や行動になって表れると思われる。

私が、豊臣秀吉は、「不幸な錯覚者ではないか」というのは、筆跡の実態から見てこのような状況が想像できるからである。つまり、秀吉は天下一を夢見て奔走しているうちはよかった。強い出世欲に裏付けられた行動であり、心理的な内面の矛盾はなかった。

しかし、いざ、天下人になると、リーダーではありたくない協調型の深層心理によって、心の内の葛藤に苦しめられることになったのではないだろうか。内面の欲求と立場からの要求との板挟み状態といえる。

織田信長は、そうではなかった。信長は典型的な「頭部長突出型」で、リーダー気質である。だから、信長は天下を制覇した後はさぞかしいい気分で過ごしたことだろう。信長のようなリーダー気質は、逆に、人に仕えるなどの立場は我慢できないだろう。

多くのリーダーにとって他人ごとではない

考えてみると、このような状態に陥ったリーダーは少なくないように思われる。たとえばナポレオン、たとえばヒトラー。行動の中身は違えども、心理的な本質は似ているように思われる。心理的な葛藤は秀吉と類似したものがあったのではないだろうか。

そんな大物はさておいても、このような心理的不統合からくる葛藤は、今日の各界のリーダーにも多いのではないかと思われる。その意味で、人は人生設計の一環として、自分の深層心理のありようを確かめることが大切である。

深層心理は、なにも「リーダー気質」と「協調型」に限らない。たとえば「生真面目型」と「融通型」なども深層心理と社会生活が食い違ったら大抵の人はやっていけない。

たとえば、「生真面目型」の人というのは、きちんとルールが定まった世界にいたい人である。状況が様々に変化して、その都度、対応を変えなくてはならないというような状況に追い込まれるとパニックになってしまうだろう。このタイプは、公務員や技術者などにマッチする。

逆に「融通型」というのは、「自由放任」を望むタイプである。人間誰でも自由を望まない人はいないが、それが特に強い人である。このタイプは、ルールに縛られるような状況には耐えられない。どちらかと言えば組織社会にはなじめず、多くの中小企業の経営者や一匹狼的職業人に多い。

その職務に矛盾のある人間が社長になっていたら、本人が苦しいだけではない。会社の将来が危ぶまれる状態になる。ぜひ、事前に自己の真の姿を確かめて人生設計をしたいものである。筆跡心理学はそのために役立つことができる。チェックしてみようとの方は、私どもの筆跡診断の利用をご検討いただければ幸いである。

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