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筆跡鑑定人ブログ-65
- 筆跡鑑定人 根本 寛
- このコーナーに書くのは、事実に基づく、筆跡鑑定人の「独り言」のようなものです。お気軽にお付き合いいただければ幸いです。ただし、プライバシー保護のため固有名詞は原則的に仮名にし、内容によってはシチエーションも、特定できないよう最小限の調整をしている場合もあることをご了解ください。
筆跡は人の顔のような側面がある
筆跡鑑定とは、ご存じのとおり書き手不明の文書と、書き手の判明している文書を比較検討して、同一人の筆跡か否かを調べるものである。
その場合、色々な調査の方法があるが、一つの分類として、例えば「東京都」という筆跡を3文字一括して調べる方法と「東」「京」「都」と1字づつに分けて調べる方法がある。
3文字を一括して調べる方法は、3文字のレイアウト面のチェックには多少役に立つが、1文字づつばらして調べる方法は、指摘ポイントも多くなり、きめが細かくなるという利点がある。私は概ね1文字づつ調査をする。
鑑定をしていると、時にとんでもなく難しいケースに出くわすことがある。実は、多くの鑑定では異同の判断にはそれほど苦労しないことが多い。つまり、文字というのは人の顔のような側面があって、一目で文字全体から独特の個性や雰囲気が伝わってくるケースも少なくない。
だから、感のいい人は、さほどの勉強をしなくとも、2つの文字を並べて、同一人の筆跡か否かの区別ができることは少なくないのである。いわば、顔を見れば、こちらはAさん、あちらはBさんと見分けがつくようなものだ。
しかし、いつもそうばかりではない。極めて微妙な差異があるような場合は、その差異の程度は、同一人の個人内変動として在り得るのか、在りえないのか等の判断はやはり勉強と経験が必要になる。
私が、判別が難しかったと思いだす一例は、子による母親の遺言書の偽造であった。明治生まれの母親は、カタカナで文字を書いていた。それもめったに文字を書かないということで、メモの小片数枚しか対照資料がない。
カタカナで書かれた疑問の遺言書
疑問の遺言書もカタカナで数行程度書かれていた。そもそもカタカナは字形が単純なので、筆跡個性の把握は難しい。それが、めったに文字を書かない人の通弊で個人内変動が激しいときている。
そのような遺言書を、「ア」とか「イ」という文字で判断するのだから、判別は基本的に容易ではない。しかし、普通ならたとえば「ア」の字なら第2画の「払い」の微妙な曲線などに筆跡個性が出るものである。
その何気ない線には……筆致、あるいはタッチというべきか、微妙なその人独自の雰囲気がある。それは、気質・体質・書字経験などから生じる筆跡鑑定では表現できないレベルの個性である。
それが、親子という関係の、体質や性格等が似たところから来るものか、母と子で実によく似ていた。幸い、照合する字種が10字ほどあったので、じっくりと比較して判別することができたのだが。
また、筆跡鑑定は、仮に異同は判別できたとしても、実際には、それを裁判官を含め読み手に分かり易く説明する能力がむしろ難しく大切である。ポイントを的確に捉え、分かり易く、要領よく説明し納得してもらう能力が求められる。
「贈」の文字での嬉しい経験
このようなことに日夜苦労している鑑定人としては、「これは決定打だ!」といえるような筆跡を発見した時の喜びは大きい。それは、異同の解明と同時に、読み手に十分理解して貰えるだろうとの喜び、あるいは安堵感ともいうべきものだ。
具体例を一つ示そう。つぎの「贈」という文字である。鑑定文字と対照資料それぞれ2文字づつある。鑑定文字が書き手不明の文字。対照文字は、もちろん書き手が分かっている文字で、この異同の判断が鑑定目的である。
この場合、まず「a」で指摘した部分である。これは「貝」の字の第4画の違いである。この部分、鑑定文字は普通に「一」と楷書的に書き、対照文字は「フ」と行書で書いている。これは、明らかに相違している。
しかし、同じ人が楷書・行書と使い分けることがあるから、鑑定ではこのような「書体の違い」は無視することもある。しかし、このケースではそれぞれ2文字が同じ運筆なので、異筆の一要素と見ることができる。しかし、これは決め手になるような強いものではない。
つぎは「b」で指摘した部分である。ここは、本来「田」の文字である。鑑定文字は正しく書いているが、対照文字は、極めて大きく崩して異なっている。ただし、この違いも、前項同様、決め手になるような強いものではない。
ここまでは、普通程度の相違部分だったが、「c」で指摘した「日」字のところは嬉しかった。この部分は、鑑定文字が正しく「日」と書いているのに対して、対照文字は明らかに「口」と書いている。
これを見ると、対照文字は、崩して書いたというだけではなく、明らかに「誤字」を書いているということは明白である。このような誤字を書いている人が、ある時、気が付いて正確な文字を書くということはめったにないことである。つまり、「誤字」は鑑定の決め手の一つ……Aランクの決め手……なのである。
もちろん、これだけで別人の筆跡と断定したわけではなく、先に述べた「a」や「b」レベルの、いくつかの文字の相違点を加えて「異筆」と断定したのである。しかし、このケースでは、何と言っても「贈」文字が決め手になった。まさに鑑定人にとっては「誤字は宝物」なのである。
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