吉行淳之介と野坂昭如の筆跡

筆跡鑑定人ブログ-67

筆跡鑑定人 根本 寛
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吉行淳之介と野坂昭如に共通する虚無感

吉行淳之介と野坂昭如は、非常に対照的なキャラクターである。吉行淳之介が、文壇一の美男子で、品が良く育ちの良さからくるスマートさで女性にもてたのに対して、野坂昭如は、焼け跡闇市作家のイメージで、無頼でアクが強く、正反対のようなイメージである。

しかし、この二人は多くの共通点を持っている。吉行淳之介は1924年、野坂昭如は1930年生まれと年齢は吉行淳之介が6歳年上である。太平洋戦争が終わったとき、吉行淳之介は21歳、野坂昭如は15歳と多感な年代であることは変わりがない。

野坂昭如は自分のホームページで、「巨人、大鵬、玉子焼きの世代です。つまり、一方向にソレッと動く時代に育ったオヤジです(後略)」と自己紹介をしているが、今の若い方が、この二人を理解するには太平洋戦争の終焉がどのようなものであったのかが分からないと理解できないだろう。

太平洋戦争で日本がアメリカに負け、それまで空を覆っていた暗雲が切り裂かれ、陽光が差し込んできたような奇妙にホッとした感情の反面、進駐軍に占領され、子供は「ギブミーチュウインガム」と米英に群がり、真っ赤なルージュの売春婦が米兵と腕を絡んで闊歩している姿を見なかった人には、戦後のデカダンな気分は理解できないだろう。

また、日本人の精神的な強さを恐れたアメリカの「日本人骨抜き作戦」によって、甘い飴をしゃぶらされ、それによって、間違いなく骨抜きになってしまった己への嫌悪感を感じていない人にもやはり理解できないものと思われる。

対照的な二人の筆跡

つまり、吉行淳之介も野坂昭如も、このような体験を共有し、そこからくる虚無感・ニヒル感が共通しているように思える。しかし、もちろん生い立ちなどからくる二人の個性は相当に異なり、それは年を経るにつれ際立ってきた。今回は、対照的なこの二人の筆跡特徴を分析してみたい。

二人の筆跡もまた対照的だ。ぱっと見て、吉行淳之介は文字が縦に長く、柔らかで品の良さを感じさせる筆跡。対して野坂昭如は横に広くエネルギッシュで、人の気持ちなどお構いなしの駄々っ子のような筆跡である。

吉行淳之介のような縦長の文字は、体を使うよりは頭脳労働者の典型的な字体と言える。野坂昭如の横広の文字は、本来は頭を使うより体をマメに動かす労働者タイプのものである。

こういうと、いかにも吉行淳之介は知的で、野坂昭如はバンカラのようだが、逆に言うと。吉行淳之介は無駄な力を使わない省エネ派であり、たとえ若くとも老成しているともいえる。勤め人なら、目を光らしいないと手抜きもありうるタイプだ。

野坂昭如の横広文字は、よく言えば、陰ひなたなく、骨惜しみせずよく働く働き蜂タイプともいえる。したがって、勤め人なら言われた通り誠実に働き、安心して仕事を任せられるタイプである。野坂昭如が安心して仕事を任せられるタイプには思えないが……。

飄々の吉行淳之介とエネルギッシュな野坂昭如

筆跡心理学からなぜこのように言えるのかと言えば、日本の文字は本来縦書きである。縦に長く伸ばすのは、特に力を要せずサラサラと筆のままに書き流せばよい。吉行淳之介の署名をみればその感じが分かると思う。彼の飄々とした人間性とよくマッチしている書体だ。

一方、野坂昭如のように、1画1画を左右に張り出して書こうとすれば、それなりに力を必要とする。文字を書くという小さな動きを大げさだと思われるかも知れないが、人の行動パターンは、大きな動きにも小さな動きにも同じ傾向が表れるのである。

野坂昭如は、作家以外にも、歌手、作詞家、さらには政治家を務めたりと活動の場が非常に広い。これは、体を動かす…エネルギッシュであることを表している。同時に、幅広で左右に線の突出した筆跡は、また、目立ちたがりで自己主張の強さを表している。

つぎに、吉行淳之介の「行」や「淳」など偏とつくりのある文字を見ると、縦長の筆跡の割には中央の隙間…開空間が広めである。一方、野坂昭如の文字は、横広な筆跡にも拘わらず、4字の全ての開空間は狭く対照的である。

このような隙間は「心のゆとり」を表し、広い人はゆとりがあり、狭い人はゆとりがないと考えられる。また、この隙間は、人や情報の通り道と考えられ、広いほうが人との交流が多く、多くの情報が入ってくると考えられている。

吉行淳之介が心に余裕があるのは理解できるが、野坂昭如が人を拒絶してわが道…つまり考え方や信念に固執するというのはやや理解しにくい。しかし、自己主張が強く「唯我独尊」傾向があると見れば分かるような気がする。

野坂昭如の文字は、単に開空間が狭いだけでなく、「如」の字を見ると線が交差している。このような交差は、普通の人は避けるのだが、彼の場合は交差する。これは、普通の人なら怖がるような場にも飛び込む気の強さを表すと見られる。これも納得がいく。

頑張って築く野坂昭如と引き立てられる吉行淳之介

しかし、野坂昭如のその他の文字は、いかにも偏とつくりが衝突しそうでありながら…接してはいるが、交差はしないでぎりぎりで止まっている。これは、運動神経が発達していることを示している。彼が「ゴルフは軟弱だ」と、中年になってから、ラクビーやキックボクシングを始めたことと無縁ではないのだろう。

二人の対照的な筆跡特徴のもう一つとして「ハネ」がある。吉行淳之介は、「行」と「淳」字に本来はハネがあるのだけれど全然書かれない。一方、野坂昭如は「野」の字の強いハネが印象的である。

ハネは最後まで力を抜かない筆運びから、粘りがあり、頑張り屋であることを示している。吉行淳之介の筆跡にハネがないことは、彼の肩の力の抜けた飄々とした行動から見てまことに納得がいく。

一方、野坂昭如は強くハネを書く。これまた、次々と、多くの職業や経験にチャレンジした人生を見ると納得がいく。彼の行動を見ると、自分の可能性を探ろうと、あちこちに頭を打ち付けながらがむしゃらにもがいてきたような印象を受ける。

その点、吉行淳之介は、青春期こそ、心の葛藤に悩んで売春婦に救いを求めたことはあったかもしれないが、女性遍歴の果てに、宮城まり子という理解者を得て、無理のないスマートな人生を送ったように思われる。

「書は人なり」の言葉どおり、二人ともそれぞれに、よく人間性の表れた筆跡である。このように二人を対照してみることで一層理解が深まるように思える。

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