狭山事件・石川一雄さんの手錠を外したい

筆跡鑑定人ブログ-72

筆跡鑑定人 根本 寛
 このコーナーに書くのは、事実に基づく、筆跡鑑定人の「独り言」のようなものです。お気軽にお付き合いいただければ幸いです。ただし、プライバシー保護のため固有名詞は原則的に仮名にし、内容によってはシチエーションも、特定できないよう最小限の調整をしている場合もあることをご了解ください。

 

狭山事件は現在3回目再審を目指している。

私は、今、狭山事件について深く反省している。犯人とされた石川一雄さんは、24歳で逮捕され、「殺人犯」の濡れ衣を着せられ72歳の今日まで闘っている。2011年12月現在、弁護団の懸命な活動の下、再審に向けて裁判所と検察を相手に3者協議が行われている。石川一雄さんの事件は、どのような角度から見ても完全な冤罪である。

有罪判決の中心には筆跡鑑定がある。私は、筆跡鑑定人である。本来なら強い関心を持ってそれなりの活動をすべきであった。それが専門職の社会的役割であろう。しかし、とうに終了した事件だと思って今まで無関心でいたのである。申し訳なかったという気持ちで一杯である。

そこで、はなはだ微力ながら、何らかの応援の活動をしようと思う。私にできることは、有罪の鍵になった、警察系の鑑定人のでたらめな鑑定を説明し、石川一雄さんの無実と、世論の力が必要なことをできるだけ多くの人に知らせる程度しかできない。しかし、微力であろうとも私なりに尽力しようと思う。

新しい鑑定書を提供する方法もあるかとも思うが、少なくとも弁護団の異議申立書などから判断する限り、石川さんの無罪を証明する筆跡鑑定書は既に10編ほども提出され、いずれも科学的で精緻な分析がなされている様子である。その意味で、いまさら私が鑑定書をどうこうしても始まらないだろう。何より、弁護団から要請を受けているわけでもない。せめて、この小論の中で私なりも視点を追加して少し鑑定をしてみようと思う。

 

ここで、私のように、この事件についてご存じない方のために概要を説明したい。ご承知の方はここは飛ばして先に進んでいただいて結構です。

①事件……

1963(昭和38年) 5月1日、埼玉県狭山市で、当時16歳の女子高校生が学校から帰宅途中に暴行を受けたうえ絞殺された。当日、午後7時40頃、自宅の玄関に脅迫状が届けられた。

ざっと説明すれば以上の通りであるが、弁護団の再審請求を10年以上ほったらかしに しての棄却など裁判所の不誠実ぶりにはあきれるばかりである。歴代の担当裁判官が、皆 逃げ腰で対応しなかったらしい。

唯一の物証の「脅迫状」と石川さんの筆跡の鑑定は。

ここで、逮捕の決め手になった重要な証拠「脅迫状」と逮捕される2日前に自宅で警察官に書かされた「上申書」、そして、逮捕40日後に、警察で書かされた「脅迫状の写し」を紹介する。「脅迫状の写し」とは、取調室で何度も練習させられた後に書いたものである。(赤の丸囲み文字は後に行う鑑定の文字です)

石川さんは、ろくに文字を書けなかったので、何回も下書きさせられたようだ。このあたりの状況を考えると、直接取り調べを担当した警察官は、石川さんの無実は分かっていたのではないかと思われる。しかし、検察はこのような資料の提出を拒んでいる。

 

歪んだ意図の警察の筆跡鑑定

さて、このような文書の筆跡鑑定に当たって重要なことは、第一に「資料全体の印象」である。私は鑑定書の中で「資料の性格と概観所見」という項目でそれを行っている。人間の持つ直感的感覚は鋭いもので、たとえば、人の顔なども一度見ればたいていは分別ができるものである。それは人相を総合的に直感的感覚で受け止めるからである。

そういう意味で、筆跡鑑定は、最終的には一文字ずつ精密に異同を調べるものであるが、それ以上に大切なのは「全体調査」なのである。この、全体の印象をおろそかにした鑑定は、まさに「木を見て森を見ない」鑑定であり、大きな欠陥のある鑑定といえる。

私は、警察の三人が行った鑑定をつぶさには見ていないが、弁護団の詳細な反論から読み取る限り、警察の鑑定は「全体調査」は行っていない様子である。なにより行っていたら「脅迫状」と「上申書」が同一人の筆跡であるなどとは決して言えない筈である。

警察の行った鑑定は、極めて粗雑な「類似分析」(//www.kcon-nemoto.com/journal/)であると推測できる。しかも、同一人という結論を導き出すために都合の良い文字を取り上げたに過ぎない。見てもいないのにどうしてそこまで言えるのかと思われるかもしれないが、現職科捜研の警官の鑑定や、科捜研OBの鑑定書と対峙してきた経験から分かるのである。また、この私の指摘以外の方法では同筆という鑑定結果は導き出せないのである。

全体調査からは別人の筆跡であることは明白

そこで、まず全体調査を実行してみよう。つぎに掲げたのが3枚の資料の拡大図である。全体調査といいながら一部で申し訳ないが、紙面の都合で一部にした。しかし、それでも全体の印象は十分にご理解いただけるはずである。

まず、脅迫状は、文字全体として石川さんの筆跡よりも数段流暢である。筆勢があり、「札」の木偏や「な」の字の第1、2画の環状の続け書きの滑らかさなど、たどたどしく一字一字なぞるように書いている石川さんの筆跡と同一人の筆跡と思う人はいないだろう。

「脅迫状の写し」は、逮捕40日後に、警察で何度も練習させられ書いたものだけに、上申書よりはだいぶ上達しているが、それでも、脅迫状の持つ滑らかさやタッチとは比較にならないほど稚拙である。一般に書字技量上位の者が下位の筆跡を模倣することは出来る。しかし、その逆はあり得ない。下手なものには上手い字は書けないからである。

それにしても、何故、警察では脅迫状を何度も練習させ書かせたのであろう。その意図は透けて見える。脅迫状と上申書では、だれが見ても違いが大きいので、なんとか類似する筆跡を得ようとしたのだろう。

裁判官の卑怯な言いがかり

このあたりに関して、裁判官は、判決の中で、石川さんが2~3か月間、留置所で熱心に文字を学習し、父親などに出したハガキの上達した筆跡を引用し、「事件当時も、必ずしも上申書のような稚拙な状態であったとは言い切れない」という。作為があったのだろうという、想像による非合理的な言いがかりをつけて警察の鑑定書を認めている。合理性を重視する裁判所の言い分とは信じられない。

事件当時の石川さんの筆跡は、あくまで上申書の筆跡で判断すべきである。しいて言えば、警察は、石川さんが脅迫状の練習をしたその用紙を示せばよい。警察は、そのような真実を知るための重要な資料の提供も拒んでいるようである。

1文字づつの鑑定でも別人の筆跡であることは明白

つぎは、1文字による異同の調査である。これについては、正式の鑑定書ではないので、筆者識別に効果的な「友」と「な」の2字に限って進めたい。筆者識別に関して重要なことがある。それは、同一人の筆跡であることを証明するには、第一に「安定した同一性」があることと、第二に「安定した相違性」が発見されないことである。

「安定した」というためには、1文字では証明できない。理想的には全文字を取り出して分析しその分布比率を示さなければならない。そこまでしなくとも、少なくとも2文字以上を調査して同じ筆跡個性の存在を証明する必要がある。ここではその方式で証明しよう。

つぎに、別人の筆跡であることを証明するのはずっと簡単である。それは、「安定した相違性」が一つでも発見できればよいのである。人の顔と同じで、例えば「額」「目」「鼻」「口」が瓜二つであったとしても「顎」が異なれば別人である。ただ、他人のそら似ということもないとは言えないから、もう1箇所、文字でいえばもう1文字、安定した相違性があれば異筆と言ってよいのである。このロジックに基づき、以下2文字について鑑定を行ってみる。

「友」字についての鑑定

ア、

aで指摘したのは、第1画の2画より左に突出する長さである。脅迫状は短く、石川筆跡は長く突出する。脅迫状も石川筆跡も3字が「安定した相違性」を示している。

「な」字についての鑑定

ア、

石川さんの文字は1字は上申書、2字は脅迫状写しから取り出した。一見して分かるように、稚拙ながら大きな変化はなく一定の筆跡特徴が明らかである。aで指摘したのは、「第2画の左に突出する第1画の長さ」である。脅迫状は短く石川筆跡は長く書かれる。この特徴は両資料ともに「友」字でも同じであった。筆跡個性(筆癖)というものは、文字が違っても同じような部分には同じように表れることが多い。

石川さんは部落民ということで犠牲になった

ということで、唯一の物証である「脅迫状」は、石川さんの筆跡でないことが証明された。石川さんは、明確な証拠によって逮捕されたものではない。警察は、このような犯罪を行うのは部落民に違いないとして、部落民の若者を片っ端から調べ上げた。そして、アリバイの無かった石川さんが犠牲になったのである。

この場合、筆跡鑑定は、「真実を知るためのもの」ではなく、「容疑を固めるため」のものとして利用された。このような、不当な筆跡鑑定は警察の常套手段である。

ところで、私の鑑定をご覧になってどのようにお感じだろう。これほど明確に違うもの を、検察も裁判所も同筆と強弁するのに驚かれ、これは特殊な例だと思われるかも知れない。実はそうではなく、珍しいことではないのである。私の主戦場は民事の世界である。この場合は、警察OBの鑑定人との争いになることが多いが実態は同じである。

私が常々声を大にして主張するのは、このような作為的な筆跡鑑定が、民事であっても冤罪を作り出している現実である。そして、それを鵜呑みにする裁判官が少なくないという現実である。私は、筆跡鑑定が鍵になる裁判では、誤審が相当に高い確率で存在していると思っている。今回の鑑定程度の内容が否定されるのだからはっきりわかるのである。

皆さんに是非お願いしたいこと

■最後に、お読みいただいた皆さんに是非お願いしたいことがあります。どうか、このような気の毒な不条理があること、そして現在、弁護団が「第3次再審請求」を行い、裁判所、東京高等検察庁との3者協議が進行中であることを知っていただき、それを一人でも多くの方に知らせてほしいのです。そのために、この小論をご活用いただければ幸いです。この小論は、どのようなメディアに掲載していただいても構いません。

■東京高等検察庁は、石川一雄さんの捜査資料段ボール四箱分の開示を拒んでいます。無罪を証明するには、捜査資料の開示が重要なカギになります。このような資料の非開示は、先進国ではわが国だけです。米・英・仏・独などでは原則全面開示です。石川さんの資料開示については、日本は国連の勧告まで受けています。是非、国民の声として法務省や裁判所に捜査資料の開示を要求し、1日も早く石川さんの「再審」を実現しようではありませんか。

■石川さんのドキュメンタリー映画が製作中です。つぎのURLをご覧ください。そこに述べられていますが、石川さんは24歳から32年近くも監獄に閉じ込められていたのに「わが人生に悔いなし!!」というのだそうです。獄中で学習し文字を得たこと、多くの支援者との心の交流ができたことに感謝しての言葉のようです。また、仮出獄の現在も両親の墓参りはしないのだそうです。殺人犯として両親の前に立ちたくはない、それは無罪が証明されたときにするという強い決意のようです。

★狭山事件についてさらに詳しく知りたい方はつぎをごらんください。

404 Not Found

★ドキュメント映画も制作中です。ご覧ください。

映画『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』
2010年、初めて狭山を訪れ石川 一雄さんを撮影させてもらいました。映画を通して「狭山事件 石川 一雄」を記録し、一人でも多くの人に届けること。その結果として石川さんの再審の手助けになれば幸いです。

★このブログはお役に立ちましたでしょうか。ご感想などをお聞かせいただけば幸いです。
メール:kindai@kcon-nemoto.com

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