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筆跡鑑定人ブログ-
- 筆跡鑑定人 根本 寛
- このコーナーに書くのは、事実に基づく、筆跡鑑定人の「独り言」のようなものです。お気軽にお付き合いいただければ幸いです。ただし、プライバシー保護のため固有名詞は原則的に仮名にし、内容によってはシチエーションも、特定できないよう最小限の調整をしている場合もあることをご了解ください。
ある保育士さんからの相談
野上みゆき(仮名)さんという保育士さんから電話があった。「保護者から園長あての苦情の手紙が来まして、それを私が書いたと誤解され、園長から罵声を浴びせられ今月中に辞めるようにと言われました。正しい鑑定書を作ってください」とのことである。
聞いてみると、園長は、鑑定人に鑑定してもらったと言っているが、ウソらしいという。何故なら、「その鑑定書を見せてください」というと、言を左右にして見せてくれないということである。
資料を送るように話して待っていると、3日ほどして資料が届いた。つぎがその手紙の一部である(資料1)。B5のレポート用紙一杯に、父母の声として苦情をふくめて書いてある。
相談してきた野上さんの筆跡は、資料2の「保育計画書」の一部である。こちらはA3の用紙一杯に書かれている。鑑定するために比較する漢字を探してみると、文字の多い割には、同一の文字がごく僅かである。
共通する漢字が少ないので「ひらがな」で鑑定する
こういうことはよくある。資料の性格が違うと使用する用語も違い、多くの文字があっても、意外に共通する漢字がないのである。仕方がないので「ひらがな」を中心に調査することにした。
一般に筆跡鑑定は、画数が多く複雑な「漢字」を使う。筆跡特徴が出やすいからである。警察OBの鑑定人の中には、ひらがなやカタカナあるいはアラビア数字などは鑑定しないという人がいる。字形が単純で別人でも似ていて鑑定に使えないというのだ。
しかし、これは誤っている。鑑定人としての努力不足というべきだろう。実際に鑑定をしてみると分かるが、ひらがなでもカタカナでもそれなりに筆跡特徴はあり、書き手を識別することは十分に可能だからだ。
それどころか、ひらがなは数多く書くので、仮に他人の筆跡を模倣しようとしたり、韜晦(とうかい…自分の筆跡を隠して書くこと)をしようとしても、その作為が徹底できないで、本来の筆跡個性が露呈することが多い。その意味で、鑑定上はむしろ貴重な材料である。
そのような事例として、今回は「あ、す」の2文字で説明しよう。資料A・Bから、それぞれ3文字づつ取り出して、鑑定を進めた。つぎが「あ」の文字の鑑定である。aからdの4カ所を指摘したが、一致・不一致の「○・×」は、煩雑さを避けて1文字だけに付けた。
「あ」の文字では明白な結論が得られた
aで指摘したのは「第2画の長さ」である。資料Bはいわば「首」の部分が長く、後半は短く切り上げられている。資料Aは、ちょうど逆で「首」の部分が短く、後半部分は長めに書かれている。プロポーションが全然違う。
この部分を確認するだけでも、この資料A・Bは別人の筆跡らしいと思われるであろう。bで指摘したのは「第3画の始筆部の形状」である。資料Bは横画の上に長く突出するが、資料Aは突出しないか、突出してもごく短くやはり相違している。
cで指摘したのは「第3画で書かれる円の形」である。資料Bは右への膨らみが小さいが、資料Aは大きく膨らみ綺麗な円を描いている。dで指摘したのは、「第3画終筆部の形」である。資料Bは、巻き込みがなく直線的に終筆するが、資料Aはしっかりと巻き込んでいる。
ということで、一見すると似たような文字に見えるが、ちょっと視点を変えて、改めて両資料を眺めて頂くと「なるほどこれは別人だ」と納得して頂けるのではないだろうか。鑑定人とは、気づきにくい箇所を指摘して、「視点を変えて頂く職業」ということもできるようだ。
「す」の文字ではどうだろう
つぎに「す」の字に進もう。この文字は、簡単な字形で特徴がないと言われるがはたしてどうだろうか。aで指摘したのは、「横画の長さ」である。資料Bは標準的な長さであるが、資料Aは極端に短くなり、明確に異なっている。
bで指摘したのは、「縦画が横画の上に突出する長さ」である。資料Bは非常に短く書かれ、対して資料Aは標準的な長さに書かれる。この両資料の特徴は「あ」の字でもほぼ類似した傾向であった。
cで指摘したのは、中央の「ループの大きさ」である。資料Bは極端に大きく書かれるが、資料は「やや大きめ」という程度である。何か、妊婦のお腹を想像してしまう。資料Bは産み月間近というところか(笑)。
前項で決定打のようだが、最後にdで指摘したのは、「ループ下の画線の長さ」である。資料Bに比べて資料Aは極端に長く書かれる。ということで、この2字で別人の筆跡であると断定できるが、他に5文字ほど追加して鑑定を打ち切った。
このように、字形の簡単なひらがなでも、1文字ずつの比較ではなく、2~3文字による鑑定を行えば筆跡個性の違いが明白になり、確実な異同判断が可能なのである。
野上さんには、鑑定書を送り、場合によっては「社会保険労務士」に相談して、善後策を検討するとよいとアドバイスして取りあえず終了。3カ月ほどして良い形で解決できたとの嬉しい知らせがあった。
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