-
筆跡鑑定人ブログ-76
- 筆跡鑑定人 根本 寛
- このコーナーに書くのは、事実に基づく、筆跡鑑定人の「独り言」のようなものです。お気軽にお付き合いいただければ幸いです。ただし、プライバシー保護のため固有名詞は原則的に仮名にし、内容によってはシチエーションも、特定できないよう最小限の調整をしている場合もあることをご了解ください。
孫文の「辛亥革命」から100年
昨2011年は、中国の辛亥(しんがい)革命から100年目に当たり、日本、中国、台湾では様々な催しが行われた。そのひとつで、NHK・BSでは11月に「孫文と日本」という番組が放映された。
その番組制作の一環で、孫文の手紙の筆跡鑑定の依頼を受けた。それは、大正4年(1929)、外交官・小池張造宛の密書……日本と中国の「盟約」を提案した孫文の手紙である。B5版の罫線付用紙4枚に毛筆で縦書きされている。
手紙は、冒頭、「大正四年三月十四日、孫文、小池張造殿」と書かれ、「現下の時局に対し年来の持論から黙視できない。閣下にご考慮願いたく」との趣旨の書き出しから始まり、11条の盟約案が書かれ、最後は、「御公表無之様特ニ奉願上候」と結ばれている。
この手紙に関し、どのような成り行きかは知らないが、以前から日本の海軍中将・秋山眞之の筆跡ではないかとの根強い意見があるらしく、これを鑑定してくれとのことである。なお、秋山眞之は、日露戦争の日本海線で東郷平八郎の作戦担当参謀を務め、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公である。また、秋山眞之は、孫文と交流があり支援者の一人である。
孫文(1866-1925)については説明もいらないだろうが、100年前に、辛亥革命により清王朝を倒し、民主的な近代中国を樹立し、「中国革命の父」と呼ばれている。今でも、中国と台湾の双方から敬愛されている革命家・政治家である。
図1が鑑定を依頼された孫文の密書と、対照する秋山眞之の筆跡である。孫文の密書は、B5版の罫線付用紙4枚に毛筆で縦書きされている。孫文は大の親日家で、29歳で初来日して以来、30年にわたって繰り返し訪日している。日本に多くの支持者を持ち、合計滞在日数は9年にも及ぶと言われている
対照する秋山眞之の筆跡は、日露開戦についての海軍の戦略についての提言である。宛先は書かれていないが東郷元帥かも知れない。秋山真之は、名文家で知られ、「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」は秋山眞之の文章である。海軍ではモールス信号を使うため、文章は短ければ短いほど良いとされ、その手本とされている。
日露戦争の日本海海戦では、日米連合軍が世界最強といわれたロシアのバルチック艦隊を一方的に破り世界を驚嘆させた。この連合艦隊の解散式における東郷の訓示の草稿も、秋山眞之が起草したものである。この文章に感動した時の米大統領ルーズベルトは、全文英訳させて米国海軍に頒布した。
秋山眞之は文章だけでなく、非常な能筆家でもあり、端正な楷書から、大胆に崩した行書まで、極めて幅広い筆跡を自在に操ることが出来る。対照資料は、一例だけ示したが、この他、何通りもの筆跡があり、鑑定は中々に難しいものであった。
「勢」の文字の鑑定
10文字ほど鑑定した中から、分かり易い例として「勢」の字を示そう。このような複雑な文字ほど筆跡個性が表れやすいものである。孫文と秋山真之の資料から2文字ずつピックアップした。
2人とも甲乙つけがたい立派な筆跡である。一見するとよく似ているが、さて、同一人だろうか別人だろうか。筆跡鑑定にご興味のある方は、この先すぐ先を読み進まず、ご自身で検討されては如何でしょうか。
よく「書道の先生のような訓練した人でも筆跡個性は出るのですか」などと聞かれることがあるが、確かに「書道の手本」を書こうというような場合は筆跡個性は出にくくはなる。しかし、本質としては、「書は人なり」であり、相当の訓練した人でも、筆跡個性を出るものである。
さて、孫文と秋山眞之の筆跡であるが、ご覧のようa~cの3カ所の違いを指摘した。aで指摘したのは「土」字の第1画の大きさである。孫文は大きく書き、秋山は小さく書き異なっている。それぞれ2文字あるので、安定した筆跡個性であることがわかる。
bで指摘したのは、「丸」字のハネ。孫文はハネを書かないが、秋山は強くハネて違いがはっきりしている。cで指摘したのは「力」字の違いで、孫文は第1画を左に突出させて書くが、秋山眞之は突出のない変則的な形になる。
……ということで、2人の違いは明らかであり、この文字だけでも、孫文の密書は、秋山眞之の筆跡ではないことが明白になった。念のため、合計で10文字ほど調査して終了した。最後に、少し変わった角度から証明したことを説明しよう。
書道の面からの鑑定
それは普通の筆跡鑑定で取り上げることは無いが、より幅広く検討する狙いから追加したもので、書道の面からの、書体のタイプ別の分析である。
書道では、ある程度書道の素養があり、字体の安定したレベルの書き手については、「月」や「目」など、2本の縦画の性格を、「向勢(こうせい)」、「背勢(はいせい)」と呼び、大きく2通りのタイプに分類している。書道上級者で、この2つを混同して書く人はほとんどいないと言われている。
この角度から見ると、秋山眞之は「向勢」と呼ばれるタイプである。向勢とは、2本の縦画が向き合うように、外側に軽く膨らんだ形をいう。穏やかで温かい感じのする字体で、代表的な書き手として「顔真郷(がんしんけい)」が有名である。
一方、孫文はその逆の「背勢」と呼ばれるタイプである。背勢とは、2本の縦画が反りあうように内側に湾曲する形をいう。引き締まった端正な印象になる。代表的な書き手として「欧陽詢(おうようじゅん)」が有名である。
孫文は、「欧陽詢」のタイプの字体を書き、秋山眞之は「顔真郷」のタイプの字体と、はっきりと対照的である。ここに取り上げた以外にも同じ形態の文字が多数あり、明確に別人の筆跡だと確信できた。
ということで、この、孫文が小池張造に宛てた密書は、やはり孫文が書いたものであることが明らかになった。もし、秋山眞之の偽筆であったら、私もテレビに出て説明してくれと言われていたが、それは立ち消え、鑑定書作成で終了した1幕であった。
それにしても、2人とも明治生まれの、国を代表するエリートだから当然ともいえるが、立派な毛筆体で、昔の人はよく勉強していたものだと改めて感銘を受けた次第であった。
★このブログはお役に立ちましたでしょうか。ご感想などをお聞かせいただけば幸いです。
メール:kindai@kcon-nemoto.com