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筆跡鑑定人ブログ-83
- 筆跡鑑定人 根本 寛
- このコーナーに書くのは、事実に基づく、筆跡鑑定人の「独り言」のようなものです。お気軽にお付き合いいただければ幸いです。ただし、プライバシー保護のため固有名詞は原則的に仮名にし、内容によってはシチエーションも、特定できないよう最小限の調整をしている場合もあることをご了解ください。
誤った鑑定書に対して集中的に意見書を書いた
今年(24年)の夏から秋に掛けて、立て続けに意見書を3本書いた。別の鑑定人から誤った鑑定書が出されていて、納得のいかない弁護士さんから正しい鑑定書と同時に意見書も書いて欲しいと依頼されてのことである。
また、意見書を出すほどでもない非常に幼稚な鑑定書も2本あった。これは、鑑定書を作成するだけで反論書や意見書は作らなかった。もちろん、依頼人に必要以上のお金を掛けさせないようにと考え、弁護士さんにも「これだけしっかりした鑑定書があれば、意見書まではいりませんね」と意見が一致しての話である。
いずれにしても、たった3か月の間に、誤った鑑定書5本にも対応することになった。私の今までのペースでは、意見書や反論書を書くのは年に、5~6回程度だったから、今年は異例に多かったことになる。
このような、誤った鑑定書を書く鑑定人は、私が知っている限り常連である。そして、その鑑定書が及ぼす不幸は大きい。「悲しい結果になる鑑定書」といってよい。
ここでは、何故、そのような鑑定書が出来上がるのか、そして、その誤った鑑定書の実態とはどのようなものかを知って頂いて、そのような、悲しい結果にならないよう気をつけて頂きたいと思ってこの項を書いている。
誤った鑑定書には依頼人側の問題もある
誤った鑑定書が出来上がるのには、依頼人サイドと鑑定人サイドの両方に問題がある。もちろん、プロであり経験豊かな鑑定人の方がはるかに罪は重い。しかし、依頼人サイドにもご注意頂きたいことがある。
わたしは、鑑定に先立ち事前調査を行い、依頼人の希望と異なる場合には鑑定書作成を辞退するようにしている。いくら、依頼者の望みとはいえ、自分が信じられない鑑定書をつくることは、専門家としての社会的役割から良心が許さないからである。
このあたりは、弁護士の先生方と微妙な違いがある。つまり、弁護士先生は、社会正義を貫くと同時に依頼人の権利を守るという二つの立場がある。しかし、筆跡鑑定人は違う。筆跡鑑定人は、専門技術者として真相を解明するのが役割である。
依頼人にどれほど同情すべき事情があったとしても、それによって鑑定を曲げるようでは存在意義がない。遺言書などは、書いた本人は亡くなっているわけだから、当事者に悪意はなくとも誤った判断をしてしまうことはあり得るわけである。したがって、私は、ご相談を受けたうちの約三割はお断りすることになる。
しかし、世の中には、私とはスタンスの異なる鑑定人がいる。そういう鑑定人は、相談のあった事案は、何によれず「おっしゃる通りです」と受けてしまうらしい。受託しなければお金にならないからだ。
「いや、そうとは言い切れないだろう、鑑定人としての見解の相違ということがあるのでは?」とお感じの方もいるだろう。しかし、私が今までに対決した数十件の反論鑑定書は、そんな高邁なものではない。
私も、鑑定人として見解の違いについて、高度な論戦などしてみたいものだと思う。それは、自分の技術水準の向上にもなるだろう。しかし、現実は違う。ほぼ全てがそんなレベルのものではない。見え見えの「インチキ鑑定書」という程度のものである。
いい加減な鑑定書はボリュームがある
このような、誤った鑑定書に共通する傾向がある。一つは、鑑定書の体裁だ。何と言っても分厚い!ざっと大学ノート二冊分くらいある。さぞかし中身があるだろうと思えば、本当の鑑定部分は全体の20パーセントも無いことが多い。つまり、ざっと100~200頁もあるうち、本当の鑑定部分は10~15頁しかないのだ。
あとは、仰々しく、古めかしく、何を言っているのやらという、専門用語をちりばめた筆跡鑑定の一般論。それと、自己のキャリアなどの宣伝。自己のキャリアについては、ある科捜研のOBは、学会での活動やら何やらそれだけで7~8頁もある。
私は、この手の鑑定書を見ると、いつも「季節外れのカニ」を連想してしまう。つまり、概観は威風堂々としているが、中身はスカスカでとても食べられたものではないという意味である。一言で言って素人騙しの鑑定書である。素人の中には、その堂々とした外観から「さすが、安くはない金をとるだけのことはある」と感動する人もいるかも知れない。
しかし、このような鑑定書は、裁判上も効果はなく裁判官には否定されてしまうだろう。いうまでもなく裁判官は極めて多忙な人種である。そういう裁判官から見たら、無用な夾雑物ばかりの鑑定書など、手に取っただけで舌打ちしてしたくなるのではないだろうか。
優れた鑑定書とは、簡潔に要点を捉え、文章は簡明で分かりやすく、さっと読んでも要点がよく理解され、頭がスッキリするような鑑定書だと思う。それに近い鑑定人が一人大阪にいる。私は、例えば反対の立場で読んでいても、そういう鑑定書には感心させられてしまう。
短絡傾向で感情的な依頼者は悪徳鑑定人のよいカモになる。
つぎに、そのような「季節外れのカニ鑑定書」がなぜ、出来てしまうのだろう。……それは無論、書く鑑定人がいるからというのは当然だが、それだけではなく、依頼人の方にも多少の問題があるように思える。
私の経験でこういうことがあった。あるとき、三人の家族の訪問を受けた。60代の母親と30代の息子が二人である。東京からは2~3時間かかる地域から三人揃ってお見えになったのだ。
父親が亡くなりある借用書が問題になっていて、その家族は、父親はそんな金は絶対に借りてはいない、偽造されたものだというのだ。特に長男が強く主張する。母親と次男はそれに引きづられている様子である。
点検したところ、どうもそうではなく、父親の筆跡の可能性が高いものであった。ただ、微妙なところがあり簡単には言えない。そこで、「微妙なところがあるので少し時間を頂けませんか。じっくり事前調査してみたいのですが」といった。
そうしたら、その長男が怒り出した。「こんなにはっきりしているのに分からないのですか、ほら、この文字などまるで違うじゃありませんか」と激しい調子でまくしたてる。「いや、確かにその文字はそうかも知れませんが、そういうことはよくあることで……」と私。
こんな調子で二三繰り返しているうち、その長男は「お母さん、もう帰りましょ! この先生じゃ話になりませんよ。別の鑑定人を探しましょ!」と腰を上げる始末。私も色々な人に会ってきたが、この男性のように短気で思い込みの強い人は初めてだった。
結局、二時間以上もかけてわざわざ出かけてきたのに、三十分足らずで本当の話し合いもなくお帰りになった。実はこのような人が不良鑑定人のよい餌食になるのだ。
悪徳鑑定人からみたら、こういう短絡思考の人ほど騙しやすい相手はいない。「そうそう、おっしゃる通りです。負けないようなしっかりした鑑定書を作りましょう」となって、高い金を取られ、「季節外れのカニ鑑定書」を有り難く頂戴するということになる。
鑑定人は、誘惑に負けない倫理観が求められる。
また、数年前こういうこともあった。かなりローカルな地域の村長さんからの電話である。突然、「先生を実力のある方と見込んでお願いがあります」という。「えっ、どうされたのですか」と聞くと次のような話である。
「実は、家内が農協の役員に誹謗の手紙を出したとされて、筆跡鑑定をしたのですが、間違った鑑定書で裁判で負けてしまったのです。先生にぜひとも見て頂きたいのです」という。また、関西の著名な大学の先生に見て貰ったら、違うようですねと言われたともいう。
その鑑定書とその他の資料を送ってもらって点検した。どう見ても奥さんの筆跡と同一である。「折角ですが、私はこの鑑定人と同じ意見です。鑑定書は作れません」と電話すると、つぎのような言い分である。
「絶対にそんな筈はありません。先生、もっと詳しく見て下さいよ。難しい鑑定だと100万位はかかるでしょう。その3倍や4倍位かかっても構いません。」という。結局、辞退したが「日本の鑑定の水準とはそんなものですか!」と最後は怒ってしまった。
このような方が悪徳鑑定人に出会ったら、ひとたまりもないだろう。赤子の手をひねる如く、騙されてしまうに違いない。そのようなわけで、「季節外れのカニ鑑定書」がはびこるのは、悪徳鑑定人だけの問題ではない。
お気の毒ではあるが、依頼人のほうにも原因の一旦はある。結局、冷静な判断ができない。激高してしまうなどの単眼思考の方が被害にあいやすいのだ。もちろん、最初からウソを書く鑑定人を探して、裁判を有利に進めようとの確信犯もいる。
問題の鑑定書の三つのウソ
今回、意見書を書いた三人の鑑定人について、どのような内容だったのかその一端をお知らせして、今後、鑑定を依頼する方のご参考に供したい。
最も罪の軽い順にいうと、一人は、調査するべき文字を極端に少ししか取り上げない。鑑定に使える文字が10字もあるのに4文字程度で済ましている。簡易鑑定とか所見書ならばそれもあるだろうが、100頁以上もある本鑑定書だから訳が分からない。
また、鑑定途中の結論らしき部分と、最後の結論が食い違っている。途中まで信じていた方向が、鑑定を進めた結果食い違いが生じて無理やり結論を捻じ曲げた形跡が濃厚である。調査文字が少ないのはそのための様子である。つまり、調査するほどボロが出ると考えたのだろう。
そのためか、資料は、鑑定に使わないものまでたくさん添付している。おかげで、こちらサイドでは手に入らないその資料を活用してしっかりした反対の鑑定書を作ることができた。この鑑定人は、「悪徳」とまでは言えないかも知れない。しかし、分かっていてウソの鑑定書を書いている。
つぎは、亡くなった母親の遺言書を娘の偽造だとした鑑定書である。娘の名前の文字を手紙などから拾って同筆……つまり遺言書は娘の偽造だとしている。
この鑑定人は、科捜研のOBで、鑑定書のプロフィールには7~8ページもの自己紹介がある。その中には、やれ〇〇学会の会員だとか、どこに論文発表をしたとか麗々しく実に盛りだくさんに書いてある。また、鑑定書中には「法科学」や「科学警察研究所」など、うるさいくらい書き込んでいる。
私から見るに、鑑定内容の貧弱さをそういうものでカバーしようとしているようである。確かに、世の中には鑑定の中身は見ても分からないと決め込んでいる人もいるので、そういう人には、一定の効果はあるのかもしれない
実際、この鑑定人の鑑定書は「A文字とB文字の画線部の書き方には類似性が見られる」等の説明がほとんどで「どこがどのように類似しているのか」との具体説明はほぼ皆無である。これでは、権威者がいうのだから信じなさいという態度としか取りようがない。そして、どんな結論でも自由自在だということだろう。
依頼者の筆跡を模写して、それを使っての鑑定とは?
この鑑定人の今回の疑惑は、娘と母親の筆跡比較において、娘の裁判所での「宣誓」への署名を取り上げないことである。手紙やメモ書きへの筆跡に比べて、裁判所で行った宣誓への署名は最も信頼できるものだろう。それを使わないのは、同一人との結論に合致しないからである。この鑑定人は、意図的にウソを書いたという疑惑である。
最後の一人は、これこそ「悪徳鑑定人」と言われて仕方がないであろう。この鑑定人は、「鑑定すべき当事者の筆跡を自分で模写し、それを使って鑑定をしている」のである。これは詐欺といってよいのではないだろうか。
「これは模写です。これを使って筆跡特徴を説明します」とでもあればまだしも、当人の筆跡としか見えない模写を使っての鑑定など、到底許されることではないだろう。
……ということで、私は、同業者のこんな醜態をお知らせしたくはない。鑑定人とはこんなものかと思われるのは同業者としてつらい。しかし、このような鑑定書は、不要な紛糾を作り出す社会悪である。それは許せない。
また、依頼者や若手の弁護士先生などにも、このような裏があることを知って頂いて、なんとか、悲しい結末になる依頼者を減らしたいのである。
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