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筆跡鑑定人ブログ-86
- 筆跡鑑定人 根本 寛
- このコーナーに書くのは、事実に基づく、筆跡鑑定人の「独り言」のようなものです。お気軽にお付き合いいただければ幸いです。ただし、プライバシー保護のため固有名詞は原則的に仮名にし、内容によってはシチエーションも、特定できないよう最小限の調整をしている場合もあることをご了解ください。
(注)この項は弁護士メルマガ32と33と同じ内容です
文字は意識できない脳から生まれます
このところ立て続けに3本の反論書を書きました。3本とも同じような誤りなのでうんざりします。内容は、私が本人筆跡としたものを否定して別人の筆跡とした鑑定書に対する反論です。
このようなテーマは、相手の鑑定人の誤りは共通しています。つまり、高齢になり、乱れた筆跡から相違する部分を指摘して異筆とするというパターンです。つまり、単なる字面の変化を、書き手固有の筆跡個性と誤ってしまうということです。
今回は、鑑定人の作為的な誤りは別にして、真面目に取り組んでいるのに何故誤りが生ずるのか、純粋に技術的な側面に絞って検討したいと思います。つまり、文字が紙に記されるまでのファクターの分析です。
たとえば、「東京」と書く必要があり「書こう」と意志決定をしたとします。意思決定とは大げさなようですが、これは、意識できている脳で判断したという意味で言っています。しかし、私たちが意識で管理できるのはそこまでです。自然筆跡(意識で調整しようとしない筆跡)の場合は、そこから先は、自覚できない脳……無意識の脳の働きに任されます。
つまり、「東」の第1画・横画をどのような形に書くのか、どの程度の長さに書くのか、あるいは、左右の払いはどのようにするのか……などは、普通、意識で関知できませんし管理もできません。
それでも書き終えた文字は、ちゃんとした文字ですし、あなたの筆跡個性が表れた字形になっているはずです。これは、無意識の脳……「潜在意識や深層心理」ともいいますが、その働きのおかげです。
つまり私達の書く文字は、「書こう」という意志は「意識できる脳」が決めますが、「どのような形に書くかは無意識の脳にまかせているということです。
なぜ、こんな話をするのかと言いますと、これが筆跡鑑定を成立させている最も重要な原理だからです。筆跡鑑定で一番重要な原理は「筆跡個性の恒常性」です。「筆跡個性の恒常性」とは、何回書いても、ほぼ同じ字形が表れることをいいます。
ただし「作為筆跡」は意識できる脳が関係します
ただ、先ほど「自然筆跡」に対して「意識で調整する筆跡」と言いました。意識で調整する筆跡とは、自然のままに任せるのではなく、この筆跡に似せて書こう(偽造)とか、自分の筆跡を隠して書こう(韜晦・とうかい)という場合のことです。これらは「作為筆跡」とも言われます。
書道で、手本を見ながら手本に近づけようとして書くのは、書道の普通の学習です。著名な人の筆跡を手本にする「臨書」などはその典型で、臨書とは、実態としては「偽造」と同じことをしているわけです。
このような「意識で調整する筆跡」……つまり書かれた文字に「意識が関与する筆跡」は、東京という文字が潜在意識から浮かび上がってきて、その無意識な文字を紙に記す、その瞬間に意識で調整を加えるという流れになるわけです。
ですから、そのようにして書かれた文字は、「無意識(自然)+意識」という活動によって生み出されたものです。いわば、二重の規範によって生み出すわけですから、自然筆跡と異なり複雑な作用の産物となるわけです。
鑑定で問題の作為筆跡の場合は、自然らしく見せようとするわけですが、当然のことながら常に上手くいくとは限りません。「無意識(自然)+意識」で記されることから、筆跡個性に「おかしな混乱」が生じたりすることになります。私ども筆跡鑑定人はそのあたりを見抜くのが役割です。
このあたりの「筆跡の誕生」の部分を図解するとつぎのようになります。
筆跡鑑定の3つのプロセス
さて、筆跡鑑定はつぎの3つのプロセスに分けられます。
①筆跡個性の特定
②特定したその筆跡個性を対照筆跡と比較すること
③異同の判断
この3ステップの中では、最初の「筆跡個性の特定」が最も難しく、また重要です。この特定がしっかりしていないと、比較も異同判断も意味をなさないからです。いわば、筆跡鑑定の要ともいえます。それだけに鑑定書で揉めるのはこれが多いのです。
揉めるのは、筆跡個性でもなんでもない「単なる字形の違い」を、別人の筆跡個性だと主張する鑑定人がいるからです。「筆跡個性」と「単なる字形の違い(個人内変動)」を混同してしまうわけです。個人内変動とは、同じ人が同じ文字を書いたときに生じる字形の違いです。
人間はゴム印ではありませんから、書くつどに字形が微妙に変化します。これが筆跡鑑定を難しくしている最大の要因です。何が難しいのかといいますと、個人内変動は人により違いが大きいからです。それこそ、ゴム印の如く安定した人のいる一方で、書く都度に別人の筆跡かと思うほど変化をする人も居ます。
どうすれば「個人内変動」を特定できるのか
それでは、そのように個人差のある個人内変動を排除し、正しく筆跡個性を特定するためには、どのようにすればよいのでしょうか。
まず、第一に、1文字で判断するのでなく、少なくとも2~3文字を並べてみて観察する必要があります。筆跡からある特徴を発見したとして、1文字では、個人内変動なのか、それとも固有の筆跡個性なのかは判断できません。
2文字、3文字に同じ特徴が発見出来て、初めて、それは、書き手固有の筆跡個性だといえるわけです。
しかし、多くの鑑定人は、1文字で判断し、筆跡個性だと主張します。何故でしょうか。それは、警察OBの鑑定人が多いのですが、彼らは、ここで述べているような理論を知らないためだと思われます。私が、このようにはっきり言うのは、警察の筆跡鑑定のリーダーともいえる著名なY氏すら、筆跡個性と個人内変動を混同していたからです。Y氏は筆跡鑑定の教科書ともいえる実務書を著した、科学警察研究所のトップです(今はOBですが)。私はそのY氏と実際の事件で対決した経験があります。
その事件は、怪文書を巡る事件でしたが、Y鑑定人は、その怪文書からある1字を取り出し、8文字もある対照資料と比較して異筆としていました。そもそも、その容疑者は乱れの強い筆跡であり、指摘したその特徴は乱れの結果でした。つまり、個人内変動です。
私は、8文字もある対照資料から共通する特徴……即ち固有の筆跡個性を取り出し、それを怪文書の筆跡と照合し同筆と判断しました。
このように、警察系鑑定人の頂点に立つような方すら、このような誤った鑑定をするのですから、その下で教わった警察系鑑定人は推して知るべしであると思っています。
私の見るところ、多くの鑑定人は、筆跡が記されるその原理を理解してはいない様子です。たとえば、「筆跡の恒常性」は知っていますが、なぜ恒常性があるのかの原理を知らないからでしょう。
何故、個人内変動が出るのか
個人内変動はどのようにして発生するのか、これは、私たちの日頃の行動を考えてみれば分かります。
私たちは毎日、無意識に様々な行動を取っています。それは、大まかには共通したパターンですが、少し緻密に観察すれば、全く同じではないということはお分かりになると思います。
たとえば、ありふれた日常行動として「シャツを着る」という行動を考えてみてください。袖を通そうとして腕を持ち上げますが、毎回、同じ高さに腕を持ち上げるということはありません。
あるときは、元気よく腕を90度以上に上げるときもあれば、体がだるくて低い位置にしか上げないこともあるでしょう。別に急ぐ必要はなくとも、素早く着ることもあれば、ダラダラと時間をかけて着ることもあります。人の行動にはこのような変化があります。
文字を書くのも行動の一環ですから、同じように変化します。つまり、私たちは、元気な時と疲れたとき等の肉体的な条件の違いがあり、あるいは気分の変化があり、行動は、そういうものから常に影響を受けているわけです。
文字を記すという行動も全く同じことです。元気よく、あるいは気分よく書くときもあれば、疲れて、あるいは気分が落ち込んで書くこともあります。元気がよいときと、疲れているときの文字が同じということはありません。このようにして「個人内変動」が生まれると考えられます。
記された文字は「運筆」の結果である
第二に難しいのは、個人内変動には、変動の出やすい箇所と出にくい箇所があるということです。その違いを理解するには「運筆」(手の動かし方)というものの意味を理解することが必要です。
形として表れる文字(字形)は、細かくいえば運筆の結果表れます。換言すれば、文字とは運筆が原因で字形は結果ということになります。
ついでなので申し上げますが、それでは運筆の元は何でしょうか。それは人の個性(主に性格や習慣)です。それらが、意識できない脳を通じて文字を表出させるわけです。
そう考えるとある字形が顕在化するのは、人の個性が真実の原因(真因)となり、それが運筆を生み、運筆が字形を生み出すということになります。つまり、つぎのような流れになります。
人の個性――――>運筆――――>形としての文字
(真因) (原因) (結果)
このように考えると個人内変動とは、「運筆に影響を及ぼす要因により発生する変化」と考えることができます。そこで、今度は運筆に影響を及ぼす要因とはどのようなものか……ということになります。1部述べてきましたが、運筆に影響を及ぼす主な要因は次のようなものがあります。
①肉体的条件……若くて柔軟であるとか、高齢になり体が堅くなっている等の他、また、書道など
の訓練の有無なども含みます。
②精神的条件……元気溌剌としているとか、気落ちしているなどの気分。
③環境的条件……落ち着ける環境かそうでない環境か。筆記具の別や用紙の違い。立って書くの
か座って書くのか等の環境的条件の違い。
文字は、このような条件の影響を受けて、微妙に変化します。その変化が個人内変動です。
諸条件の結果、変化しやすい箇所としにくい箇所
しかし、ここからが肝心なのですが、文字は、その字画構成によって、影響を受けやすい箇所と受けにくい箇所があります。これについては、「大」という文字を使って説明いたします。
この「大」字は、横画の長さや、両払いの長さなどは容易に変化してしまいます。実際は、「大」字に限ったことではなく、他の文字でも字画線や払いの長さは、変化しやすいものの代表です。それは何故でしょうか。
それは、それらの画線を短く書こうが長く書こうが「運筆」の面からは何も変える必要がないからだと考えられます。つまり、同じ手の動きから、長い線も短い線も生まれます。
ゴルフのパットで言えば、距離の長さによって腕の動き……つまりストロークは変化します。しかし、パターを握った手を変化させる必要はありません。それと同じ意味で言っています。
横線でも、左右の払いでも短く書こうが長く伸ばそうが、手の使い方は何も変化させる必要がありません。そのような状態だと、字形に影響を及ぼす3条件…肉体的字要件、精神的条件、そして環境的条件の影響を受けやすくなると考えられます。
ここで、図形をご覧ください。「基本の筆跡」とは、この書き手の基本的なパターンです。それが右のように、縦に長くなったり、横広になったり、あるいは両払いが長くなるなどは簡単に変化してしまいます。つまり、個人内変動の発生です。
たとえば、記入するスペースが横方向に窮屈なら縦長文字、縦方向が窮屈なら横広の潰れたような字形に変化します。これは環境条件の影響です。また、左右の払いは、気分が良いと長めに伸ばしたり、逆に気落ちしていたりすると短めに書いてしまいます。これは、精神的条件の影響です。
しかし、左下の文字のように、横画の形が「皿」型から「ドーム」型に変化するとしたらどうでしょうか。これは、容易には変化しません。何故でしょうか。……これは、運筆(手の使い方)が異なるからです。
つまり、皿型に書くのとドーム型に書くのでは、「手首のヒネリ方」がまるで違うことになります。このような字形の違いは、性格の反映でもあり、習慣化した行動傾向の反映でもあります。つまり個性の反映です。
このような、強い個性があると、肉体や気分の違い、あるいは環境の違いなどの影響は受けにくくなると考えられます。その結果文字を構成しているそれぞれの字画線は、その形状により、個人内変動が生じやすかったり、生じにくかったり致します。
さらに、図には書いていませんが、例えば左右の払い、この微妙な曲線は、高齢になり筋肉や関節が堅くなると書きにくくなります。つまり、綺麗な曲線ではなくなったりします。もちろん震えが出たりということもあります。これは肉体的条件の影響です。
私は、このようなありようについて、23年ほど専門的に研究していますので、多くの鑑定人よりは実態を掌握しています。「大」字は一例で、個人内変動の出やすい箇所、出にくい箇所は全ての文字にあります。
このような知識がないと、書き手に固有の筆跡個性と単なる個人内変動の区別のつかない初歩的な鑑定になってしまいます。これ以上は、少し専門的になりますので、今回はこのあたりに止めたいと思います。最後までお読みいただいて有難うございます。
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