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筆跡鑑定人ブログ-88
- 筆跡鑑定人 根本 寛
- このコーナーに書くのは、事実に基づく、筆跡鑑定人の「独り言」のようなものです。お気軽にお付き合いいただければ幸いです。ただし、プライバシー保護のため固有名詞は原則的に仮名にし、内容によってはシチエーションも、特定できないよう最小限の調整をしている場合もあることをご了解ください。
遺言書の偽造が増えてきたようだ
近年、自筆遺言書で偽造のケースが増えているようだ。3、4年前までは、偽造は10件中1、2件だったが、最近は3、4割に増えてきた。大抵は、年老いて字を書くのも覚束なくなった状況の下で、極めて乱れた筆跡で、「すべてを○○に譲る」というような簡単なものが多い。
しかし、ある事案では、非常にしっかりした遺言書だった。A4のリポート用紙4枚の遺言書には、預金や株あるいは土地の処分、そして子供たちへの配分がきちんと書かれていた。
対照する父親の筆跡にも驚いた。普通は、知人に出した手紙やはがき、せいぜい契約書程度だが、そのケースでは、B5のノート10枚にびっしりと書かれた「日記」がついてきた。但しコピーである。
これがまたしっかりした資料である。ノート1枚に、元日から始まり、7日程の日記が書いてある。数年前の日記であるが、元日には子供たちの誰が来たとか、当時の株価や日銀の動向なども書かれていてウソではなさそうだ。
ノート10枚の日記が偽造とは
遺言書とその日記を一瞥するとよく似た筆跡である。思わず依頼人に「この遺言書は本物では?」と聞いてしまった。依頼人は、「父の遺言書が偽造されています」と私に言ってきたからだ。
ところが依頼人からは、「いえいえ、先生、そうではなくて、そもそもその日記が偽造なのです。長男の仕業なのです」という言葉が返ってきた。
「えっ!この日記が全部偽造ですか?」と、思わず聞いてしまった。
これには驚いた。10枚ものびっしりと書かれた日記が偽造とは……私も少なからず遺言書の偽造を暴いてきたが、こんなに手の込んだ対照資料は初めてだった。
「天網恢恢疎にして漏らさず」とはこのことか
「実は先生、幸運なことに兄が見落としていた父の日記が2冊の出てきたんです。今回、原本で同封してあるのがそれなのです。それを見て頂きますと、兄の偽造はすぐわかります」とのことである。
なるほど、その通りだった。本物の日記は、ニセの日記と同じ体裁で書かれている。……当たり前だ、ニセの日記が本物をそっくりにマネしたものなのだから。
それにしても、よく書いたものだ。長男は、父親の日記を見つけて、それをそのまま書き写したのであろう。数年前の、株価や日銀の動向などもそのまま写したのだろう。本物らしく見える筈だ。ただ、ノートの自然な汚れまでは偽装できなかったようでコピーにしたのだろう。
しかし、大変な労力だなと感心?した。しかし、「感心した」もおかしい。数千万、数億のお金が動くのだから当然のことかも知れない。このときも、まことに明快な鑑定書が出来上がり、依頼人にも喜んで頂いた。
これまた手の込んだ偽装だ
つぎは、「うーん、あまり年を取ってから悪いことをするものじゃないな」……と感慨にふけらされた事案である。
これは、土地の分配に絡む遺言書のトラブルである。このケースでは、父親は既に亡くなっており、母親が亡くなった際の遺言書である。それが、長男にかなり有利な条件になっていて、妹たちから、父が亡くなった時の約束と違うと疑問を持たれたケースである。
つぎに、その遺言書の一部と偽造を疑われた長男の筆跡を示す。如何だろうか。「土地」の「地」の字などそっくりだ。長男は、父親が亡くなった時に、土地の分筆手続き等をしていてなかなかの知恵者の様子である。
さて、その長男の偽造が疑われる遺言書と、長男の過去の筆跡を比べると、図のように「地」の字など確かによく似ている。しかし、細かく見ると、右の長男の筆跡はハネを書かない筆跡個性である。
「地」の字に限らず、他の文字でもほとんどハネは書かない。しかし、遺言書にある2箇所の「地」字にはしっかりしたハネが書いてある。確かに、母の筆跡は、他の資料を見ても、同じようにしっかりしたハネが書かれている。
この違いは、筆跡鑑定では、別人の筆跡として強いカギになる要素である。……それでは、やはり、母が書いた遺言書なのか?
文字を拡大してみてビックリ
しかし、鑑定の手順に従って「地」の文字を400%ほどに拡大して見た。それが、つぎの図で、実際の鑑定書の一部である。……何とハネは後から加筆してあるではないか。これには笑ってしまった。
遺言書の文字では……最初の図の①で示した部分では……書き足した部分の切れ目(空白)は見えない。普通に書いたように見える。しかし、拡大すれば一目瞭然だ。後の図の①は同じ文字である。
念のため、母親のその他の筆跡を見ても、こんなおかしな加筆の癖などはない。……というわけで、長男の偽造が明らかになった。もちろんこの一事で長男の筆跡と断定したわけではないが、この加筆が決め手になったのである。
長男は、遺言書の偽造に当たり、母親の筆跡にはあるハネが自分の筆跡には無いことを意識したのだろう。そして、その部分を偽装すれば気づかれないと考えたのだろう。頭は良かったが細かな細工で失敗してしまった。
この長男も60歳代だ。あるいは老眼で細かい作業は苦手になったのかも知れない。「歳を取ったら、欲は程々にして悪いことはしない方がいいね」というのが私の感慨である。
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