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筆跡鑑定人ブログ-9
- 筆跡鑑定人 根本 寛
- このコーナーに書くのは、事実に基づく、筆跡鑑定人の「独り言」のようなものです。お気軽にお付き合いいただければ幸いです。ただし、プライバシー保護のため固有名詞は原則的に仮名にし、内容によってはシチエーションも、特定できないよう最小限の調整をしている場合もあることをご了解ください。
宮司に就任後に亡くなった女性
大分県の女性から電話があった。もちろん初めての方で声からすると中年の方のようである。つぎのような話である。
ある神社の宮司(蹟田宣子)が亡くなり、財産の全てを、深い縁があるわけでもない禰宜(ねぎ)に贈与することになっている。その契約書のコピーを見ると偽造のようだ。警察に相談したが、筆跡鑑定書でも付けてこないと取り上げられないといわれた…ということである。
「あなたはどういうお立場ですか」と尋ねると、「ちょっとした関係者です」としか言わない。ともかく資料を見ないと何ともいえないので、資料を送ってもらうことにして電話を切った。(宮司とは神社を統括する責任者であり、禰宜とはその次の位の者をいう)
■二つの書類に瓜二つの筆跡
二日後に資料が送られてきた。二種類ある。一つは鑑定資料で、問題の契約書である。B4用紙にワープロ縦書き。内容は四項目あるが、肝心の項目は、「もし甲に死亡の事故あるときには、甲の関わる権利及び財産(不動産、金品等)祭祀等すべての管理を乙に委ねると同時に与える」となっている。
甲は宮司の蹟田宣子で、乙は禰宜である。甲乙の住所・氏名は手書きでそれぞれ印鑑が押してある。形式的には問題のない契約書といえる。日付は亡くなった日から数えて四ヶ月ほど前にさかのぼる。
対照する資料は、契約書のさらに三ヶ月前、蹟田宣子がある神社の宮司に就任することを約束した「就任承諾書」である。こちらは、枠のあるB5用紙にやはり、ワープロ縦書き、蹟田宣子の住所氏名が同じように手書きで書かれている。
なるほど……、依頼人のいうとおり、二つの住所氏名はそっくりである。ただし、文字の大きさは微妙に違う。就任承諾書のほうが一割がた大きな字である。しかし、点検すればするほど瓜二つである。ただし、文字の大きさが違うから、透かして重ね合わせてみてもぴったりと合うわけではない。
就任承諾書のほうを縮小コピーしてみた。91%の大きさに縮小すると、まさにぴったりである。線のどこもがはみ出したりしないで完全な一体になる。これは複写したものと見て間違いがない。
人が手書きした場合、このケースのように、「大分県」から始まり22字もが、一ミリの誤差もなく一致するなんてことはありえない。
■ 写真で複写を証明する
さて、この件は鑑定は簡単だったが、どちらかといえば鑑定書のまとめ方が肝心である。普通の鑑定書のように、同じ大きさにコピーして、並べて説明しても能のない話だろう。警察官に理解してもらおうとのことだが、あまり頭の柔らかい人種でもあるまい。彼らが一目で納得するような鑑定書が必要だ。
ちょっと頭をひねって、写真家に頼むことを考えついた。二つの資料を写真に撮って、まずは、同じ大きさにプリントする。つぎに二枚のネガを重ね合わせてプリントすれば、二つの文字が一体であることが一目瞭然だろう。幸いなことに、印鑑の押された位置が少し違っているから、二枚のネガを重ねてプリントすると、二つの印影が少しずれてプリントされ、嘘ではないことを証明してくれる……と考えた。
われわれ鑑定人は、専門技術者として公平な判断を求められている。たとえ、依頼人からお金をもらって引き受けたからといって、依頼人に都合の良いことをだけを書くわけではない。しかし、世の中にはそうは考えない人もいる。そこで、鑑定人は、自分が公平であることも、合わせて証明することも必要なのである。
■関係者の納得がいく工夫が大切
写真の出来栄えは期待以上だった。私の考えたとおり、寸分狂いなく出来上がってきた。一件落着である。鑑定書を送った依頼人からは、4、5日して警察が動いてくれることになったと電話があった。どのような事情かは知らないが、良い解決になるよう祈るばかりである。
筆跡鑑定というと、いつも、一定のパターンでやっているように思う人もいるかも知れないが、関係者にスムーズに納得してもらうためには、鑑定の都度、鑑定書のまとめ方の戦略・戦術も必要なのである。
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