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筆跡鑑定人ブログ-28
- 筆跡鑑定人 根本 寛
- このコーナーに書くのは、事実に基づく、筆跡鑑定人の「独り言」のようなものです。お気軽にお付き合いいただければ幸いです。ただし、プライバシー保護のため固有名詞は原則的に仮名にし、内容によってはシチエーションも、特定できないよう最小限の調整をしている場合もあることをご了解ください。
民事にこそ裁判員制度が必要
裁判員制度のスタートが間近になった。この制度の目的は「裁判に国民 の日常感覚や常識を反映させる」ということにある。また、その結果、「裁 判が身近でわかりやすいものになり、司法に対する国民の信頼向上につな がる」という効果が期待されるという。
もっともな趣旨で、運営方法などに対する課題はあるが、私は「裁判が 他人事でなくなり、自分のこととして考えるようになる」という国民主体の尊重という見地から有意義なことだと考えている。
この件に関して、平成20年5月21日の読売新聞朝刊で、最高裁事務 総長、日弁連会長、検事総長による対談が特集され、検事総長の但木敬一 氏はつぎのように語っている。
「検察にとっても根本的な変化がおきる。いままで、裁判官にだけ理解 してもらえばいいという捜査や公判が行われていたことは否定できない。今後は国民にわかりやすい立証を心がける。核心をついた証人尋問、明確で簡潔な調書や鑑定書。手続きが適性だったか、自白が任意におこなわれたかも分かりやすく証明しなければならない」
裁判員制度は刑事事件を対象にしたものだが、私は本来は民事事件でこそ必要なものだと思う。刑事事件は、「国家対個人だから国家権力に対して弱者である個人の人権に配慮しなければならない」ということは理解できる。しかし、刑事事件の「冤罪」に対して、民事における同様の誤審のほうがはるかに多いと思われる。これは筆跡鑑定の実務を通じて痛感して いる。
■誤りの多い民事裁判
この誤審に関して、常々問題だと思っていることは、裁判所の鑑定人リストに載っている筆跡鑑定人の質の低さである。それは、「鑑定書のわか りにくさ」と「技術面の水準の低さ」になって表れる。
裁判所の鑑定人リストに載っているのは、ほとんどが警察OBの鑑定人である。業歴20年30年という方がごろごろいる。しかし、このような ベテランの鑑定書のわかりにくさは大いに問題である。民事裁判は刑事事件とは異なりごく普通の国民の係争である。その角度から、裁判結果はい うに及ばず、それに関わる鑑定書も、関係者の誰もが理解できる内容であ ることを求められている筈である。
しかし、私の見るところ、警察OBの作成する鑑定書は、ほとんどが、高木検事総長のいう「裁判官にだけ理解してもらえばいい」という観点から作られているようである。
■「形態構成」「長さの構成」とは何のことか
一例を示そう。図Aは、Y鑑定人の説明図である。そして、図に対応する説明部分にはつぎのように説明されている。
「遺」の字について
「第2画転折部を鋭角に構成、第5画を相対的に長く構成、第6画ないし第12画『貝』の部の形態構成、第13画を相対的に大きく構成、第14画の形態構成、第15画の形態構成。」
文中の「形態構成」とは何を意味しているのか、私には理解できないが、はたして理解できる人はどれほどいるのだろうか。なお、鑑定書の何処を探しても「形態構成」についての説明はない。
「言」の字について
「第1画点画を相対的に小さく構成、第2画ないし第4画横画線の長さの構成、第5画ないし第7画『口』部を扁平に構成。」
これも同様に「長さの構成」とは何のことであるのか。もちろん、これ についても説明は一切ない。まさに裁判官にだけ理解されればいいとする、当事者不在の鑑定書である。……もっとも裁判官にも理解できるとも思えないが……。もし、この文をお読みの方でお分かりになる方がいたらぜひお教え願いたい。
■この文字を「滑らかな文字……」とは
つぎは鑑定能力が低いために鑑定結果を誤る鑑定人である。鑑定能力が低いといったが、もしかすると裁判官の心証を察知して迎合しているのかも知れない。そのあたりは微妙であるが、いずれにしてもあまりにも見え透いた誤った鑑定書である。このような鑑定書が少なくないのが現実である。
資料Bに掲げた筆跡は、85歳ほどの女性の書いた筆跡である。この方は、高齢のため筋力が衰え、行動が不自由で車椅子に乗っているが、ベッドから車椅子への移動では介護が必要な方である。当然書写行動にも不自由を来たしている。
S鑑定人が、この遺言書の筆跡と3~4年前の健常時の筆跡の比較をして鑑定書を作成している。結論は「別人」となっている。鑑定根拠の一つには、「鑑定資料の筆跡は震えがあるが、対照する筆跡には震えがない」等となっている。
それも馬鹿馬鹿しいが、鑑定に先立つ「文字の概観調査」は、つぎのように荒唐無稽なものである。
「字画線の筆致には不自然な状態は見られず、字画線の一部に震えが見られるが、渋滞などの痕跡はみられないほぼ滑らかな字画線で、自然に書かれた文字と考えられる」
ちなみに「渋滞」とは、書写行動が不自由なため筆がスムーズに動かないことである。要するに「スラスラ」書けていないさまといえる。この、渋滞のためボールペンのインクが過剰に流れ出ている状態から見て渋滞がないなどといえるはずがない。まして「ほぼ滑らかな字画線で」とは……何をか言わんやである。
この鑑定では、遺言書の乱れた筆跡とそうではない対照筆跡を別人の筆跡とするには、遺言書の筆跡が不自由な状態のものではなく「滑らかで自然に書かれていること」を強調しておく必要があったようだ。
■なぜ裁判所の筆跡鑑定はあてにならないのか
民事裁判は普通の国民にとっては刑事裁判よりはるかに身近なものである。その民事裁判で、裁判所の指定する鑑定人の鑑定書がいい加減なものが多すぎるのである。「司法に対する国民の信頼向上につながる」どころか、「司法に対する国民の信頼を失わせる鑑定書」である。
司法を信じられないということは「国を信じられない」ことで、国を信じられない国民ほど不幸なものはない。現在の民事法廷は、不幸な国民を多数作っていると思える。
さて、ここからは、私の推測も含めた現状分析である。数多くの鑑定書を裁判所に提出してきた、その経験を土台にした推測であることを理解して読んで頂きたい。
裁判所が指定する(裁判所リストに載っている)筆跡鑑定人の質は何故低いのであろうか。
私の考えでは、まず、「わかりやすい鑑定書をつくろうという鑑定人の意識が不足している」と思われる。その結果「極めてわかりにくい鑑定書」が出来上がり、そして、「その難しい鑑定内容を理解しようとしない裁判官が少なくない」という構図によって誤りが完成するようだ。図形化するとつぎのようになる。
■どうすれば改善できるのか
私は「わかりにくい鑑定書が悪の根源」だとは思うが、「裁判官が読まないから鑑定人が努力をしないのではないか?」という疑問も棄てきれない。
しかし、この問題は、どこから手をつけたら解決できるのかといえば、民間人の一鑑定人としては、手本になるような「的確で且つわかりやすい鑑定書を作る」ということしか出来ない。
そこで私の鑑定書は、図と説明文を1枚にまとめ一見して誰もが理解できるようにしている。また、用語もできるだけ平易なものにしている。その一部を次に掲げよう。資料Aと資料Bが同一人の筆跡か否かを鑑定するものである。
「治」の文字について
「治」の文字について
ア、aで指摘したのは「第1、2画の点画の角度」である。これは書道手本のように右が下に向かうの本来の形であるが、逆に右上がりになっている。その明白な筆跡個性が資料A・Bで一致している。
イ、bで指摘したのは「『口』字の終筆部を右に突出させること」である。これは「石」字でも同じ特徴を指摘したように、筆勢があるこの書き手の恒常的な筆跡個性である。この筆跡個性も資料A・Bで一致している。
ウ、cで指摘したのは「縦軸が左傾すること」である。このように1字だけ取り出すとわかりにくいかも知れないが、巻末に添付した資料を見ていただければ納得頂けるはずである。「石●●」までは直立しているが、この「治」字になると急に左傾する。この個性的な特徴も資料A・Bで一致している。
エ、dで指摘したのは微妙であるが重要である。「『ム』字と『口』字の間が普通よりも広く空くこと」である。これは書道手本と比べるとわかりやすい。この個性的な特徴も資料A・Bで一致している。この部分は拡大し指摘されて初めて気付くような微細な特徴である。気が付かないものに作為を施すことは考えにくい。この特徴は、資料A・Bがそれぞれ本来の筆跡個性である可能性を高め、別人による偽造の可能性を低くしている。
いかがであろうか。このように図解と説明を一体化させれば、何も難しい説明は必要なく、一般人に取っても一目瞭然ではなかろうか。
先に説明したような「第2画転折部を鋭角に構成、第13画を相対的に大きく構成」などの説明文を読み、それは何処のことかと、巻末に綴じられた図に確かめるというような煩雑な作業から開放され、裁判官も本来の判断に十分な神経も回せ、その結果、判断誤りも減らすことが出来るのである。
私は、司法に関わる筆跡鑑定を警察関係者だけに任せておけば、この程度の改善すら覚束ないこと、その結果が、司法判断の誤りの誘発に繋がらないとは言えないこと、そして、最終的に被害を蒙るのは国民であることに強い憤りを感じている。
民事といっても、金銭欲に絡んだ争いばかりではない。人道的なテーマも少なくない。あるお嫁さんは20代のとき夫が早死にしてしまった。しかし、実家に戻らず年老いた義父母に長年仕えてきた。感謝した義母は養子縁組をして財産を嫁に残そうとした。
しかし、義母の死後、義母の実子が養子縁組届の義母の署名は嫁の偽造だ言い出して係争になった。裁判所の推薦する警察出身の二人の鑑定人は偽造とした。私は5分で義母の真筆だとわかり、明々白々たる鑑定書を提出したが裁判所は2対1で偽造判断を支持した。
実際、公平な第三者が読めば10人が10人とも私の鑑定書を支持するだろう。私は確信を持って裁判官の誤判断だといえる。私は、このような気の毒な国民を減らしたいのである。それには、わが国の司法に、ぜひとも倫理観と技量の高い民間出身の鑑定人を送り込まなければと思うのである。
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